開国時の日本人の美徳「清き明き直き心」=渡辺京二『逝きし世の面影』から学ぶ=サンパウロ在住 毛利律子
以上、ほんの断片を拾ってみたが、これでは当時の外国人の眼差しの極意を紹介したことには全くならない。ぜひとも新聞の読者には、一度この大著を手にして、日本文化の変遷をじっくりと辿ってみることをお勧めしたい。 著者はこの本を著した目的を次のように解説している。「私の意図するのは古き良き日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない。私の意図は只一つの滅んだ文明の諸相を追体験することにある。外国人の、あるいは感激や錯覚で歪んでいるかもしれぬ記録を通じてこそ、古い日本の文明の奇妙な特性が生き生きと浮かんでくるのだと私は言いたい。そしてさらに、われわれの近代の意味は、そのような文明の実態とその実相をつかむことなしには、決して解き明かせないだろう」 私自身は、一時帰国の際に強い郷愁を感じ涙するのは、朧月夜であり、満開の桜、菜の花畑、瑞々しい青田、田舎の畦道で行き交う人々との優しい挨拶。それらは決して「逝きし世」のものではない。歴然として、脈々として生き残り、この国に生まれたことを心から深く感謝し、何処にいても、帰りたいと切望して止まない日本の姿である。 【参考文献】 ※平凡社ライブラリー552 ※渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社