開国時の日本人の美徳「清き明き直き心」=渡辺京二『逝きし世の面影』から学ぶ=サンパウロ在住 毛利律子
政治と庶民
日本は江戸幕府による専制統治下にあるが、民衆は政治的に抑圧されることもなく、政府に搾取されることもなく、社会は幕府の存在をほとんど意識していない。それどころか、民衆には軽犯罪の相互抑止といった、ある程度の自治が認められていたのである。故に彼ら自身は生活にすっかり満足している。 当然ながら江戸時代にも豪農や豪商は存在したし、逆に極端に貧しい地域もあった。それでも、産業革命後(資本主義化後)の欧米に比べれば、まだまだ当時の日本の貧富の差は小さかったということがいえる。
武士のやせ我慢
支配階級である武士の教育では「商売や金勘定は卑しいこと」とされ、ヨーロッパの支配階級である貴族の裕福さとは対極をなしていた。「武士は喰わねど高楊枝」と言う諺のように、武士は貧しくて食事ができなくても、あたかも満腹を装い、楊枝を使って見せる。武士の清貧や体面を重んじる気風を貫き、やせがまんをしたほど、武士は一般的に貧しかった。 外国と交渉ごとに当たった幕府役人の「欺瞞」や、排外主義的な浪人の脅威に悩まされながらも、一旦親しくなると、その屈託の無さ、高潔な人格に外国人の疑心は消えてしまうのであった。 大名家も、江戸への参勤交代や頻繁な国替え、城や河川整備の普請などで、必ずしも財政的なゆとりがあるとは言えなかった。日本ほど河川事業を国是とした国は世界にも珍しい。 農民も多額の年貢を収奪されていたようなイメージを持つが、新たな農具の発明などにより農業生産性が上がっても、土地の評価(石高)は頻繁に更新されなかったため、江戸時代の農民は我々のイメージほど極端に貧しかったわけでもない。
宗教=信心深く・教育熱心
信心深く寺に詣でるのは下層階級と女性のみで、武士階級は宗教に対して懐疑的であった。武士階級の多くは孔子の教え(論語)を規範としている。子供たちへの教育は非常に熱心で、家庭・地域が一体となって、基本的な教育を受けさせる体制が整っている。 日本列島が常に自然災害とともにあり、そういった環境で生きる民族にとって、人間も自然の一部であると考える自然崇拝こそが、日本人の神仏混淆の宗教として国土に深く根付いたのである。 日本は相対的に自然災害が多く発生する。これは人間の力ではどうにもならず、被害を受けても、不屈の精神で立ち直らなければならないという気概を一般的に抱いている。