開国時の日本人の美徳「清き明き直き心」=渡辺京二『逝きし世の面影』から学ぶ=サンパウロ在住 毛利律子
今こそ必読の書『逝きし世の面影』
「逝きし世」という、葬り去られた時代とはいつのことを指すのか。 「あのころ…」――それは江戸文明と俗称される18世紀初頭に確立し、19世紀明治期を通じて存続していた、我々の先祖の、絵の様な美しい社会のことである。 渡辺京二は大著『逝きし世の面影』で、「昭和を問うなら開国を問え。そのためには開国以前の文明を問え……」と、近代日本が失ったものの意味を、根本から問い直している。 文庫本で約600頁全編に、当時訪日した150人に及ぶ欧米人による手記・記録、見聞録から引用し、江戸末期の(=欧米化される以前の)日本文明を解き明かすとともに、明治維新と敗戦で日本が失ってきたものの意味を根底から問い糾す。 全編に、これらの外国人に依る第一級文献が、絵のように美しかった時代の日本人を描くのである。それらは現代の私たちが再読するに、計り知れないほど新鮮で教訓に溢れ、かつ尊く、誇り高い日本民族社会の文明を教えてくれる。その深い憧憬描写は、現代の日本社会が国際社会から受ける絶賛の声など、はるかに及ばないのである。 江戸末期、日本が先祖伝来育んできた一つの文明。欧米化される前の日本人が如何にのびのびと自由で大らか、質素倹約を旨とした楚々とした日々の営みをしていたか。礼節を守り、貧富の差も少なく、皆が寄り添い幸せに暮らしていたことか。 正月には大人も子供も一つになって歓声を上げ、凧揚げ、羽根つき、駒回し、餅つきに興じる。宮大工の生み出す数々の荘厳な寺社仏閣、一方、庶民の簡素な住まいや生活道具、食器、装身具、おもちゃに至るまで、特有の知恵から発した民具類は、知的訓練を従順に受け入れる習性に基づいて産み出され、継承されてきた。 さらには、外国を模範として真似し、工夫し洗練する国民の根深い特性。国家や君主に対する忠誠心。そういう国民的特性が一千年以上も脈々として受け継がれている事実。訪日した多くの欧米人は、自国の歴史には皆無の、そのような国民性にただ、呆然とならざるを得ない。 ある外国人は日本を絶賛し、あるいは、辛辣に罵倒し批判するものもいるが、やはり日本は、「捨てた過去よりも残した過去の優れた文化の方が多い」と、認めざるを得ない。きわめてまれな独特の文化が集積した国なのであった。 著者・渡辺京二(1930―2022年12月25日・行年92歳)。熊本県の在野の偉大な日本近代史家の一人。生涯、水俣病患者で作家の石牟礼道子を深く支えた。生前渡辺氏は、「私はずっと売れぬ本の著者であった。ところがこの本は売れた。…世間には、日本はこんなにいい国だったのだぞ。そう思いたい人が案の定いたからである」と述べている。