好きな作家の文庫は「何色」?町の本屋さんに並ぶ「背表紙」が私たちに教えてくれること
書店や自分の家の本棚に並んだ、好きな作家の文庫の背表紙の色を覚えている人は多いのではないでしょうか。奈倉有里さんの最新エッセイ集『文化の脱走兵』は、文芸誌「群像」での連載をまとめた1冊ですが、本が刊行されたあとも連載はまだまだつづいています。本好きの方にぜひ読んでほしい1篇「背表紙の学校」(『群像』2025年1月号掲載)を、再編集して特別にお届けします。
背表紙の学校
子供時代の日常の 楽園から 「さよなら」を 告げている いまも変わらぬ 友達は 擦り切れた 赤い装丁のなか 簡単な宿題を 済ませたら 急いで本に 手を伸ばすけど 「もう夜よ」「いいでしょ、十行だけ!」 よかった ママはそのまま忘れちゃう マリーナ・ツヴェターエワが1908年に書いた詩『赤い装丁の本』の冒頭だ。マリーナは執筆当時まだ16歳で、この詩はデビュー詩集に収録された。内容から思い浮かぶのは、絵本が好きだった時期を過ぎ、ずっしりと重みのある、文字がたくさん詰まった本に惹かれはじめたころの記憶だ。 10代のころの私が自宅と学校と図書館以外で最も長い時間を過ごした場所は書店だった。町の本屋さんは、通りかかれば吸い寄せられるように必ず入ってしまう。入ると、本の匂いがする。新刊の本屋さんでは真新しい紙とインクのとがった匂い、古本屋さんは焦げたような香ばしい匂い。私はぐるりと店をまわり、長々と背表紙を眺める。 買い集めるわけではない。目当ての本を読み耽るわけでもない。手にとらないことすらある。私は背表紙を眺めるのが好きだった。店にしてみればとりたてて迷惑な客ではないかもしれないが、上客とはいいがたい。うろうろしては棚を眺め、首をかしげたりにこにこしたりして帰っていく、おかしな子供である。なぜこの子は(私は)、ほんの少しの文字量の背表紙を飽きもせず眺めていたのか。 小中学校の学区内にある町のちいさな新刊書店は、いつでも行ける平日用の空間で、そういう本屋さんの内部はどこもだいたい似ていた。店先の軒下には少年漫画や少女漫画の雑誌が平積みになり、小学生たちが発売日を心待ちにして買っていく。店内に入ってすぐのラックには売れ筋のファッション誌、スポーツ雑誌、釣り雑誌、料理雑誌、懸賞雑誌などが並んでいる。 本格的な児童文学全集があるわけでもなく、こだわり抜かれた選書があるわけでもない、そうした雑然とした本屋さんのなかでひときわ輝きを放つのは文庫の書棚、わけても新潮文庫だ。いわゆる「世界の名作」がいちばんのときめきの対象だった私にとって、新潮文庫はおこづかいで手に入る宝の山である。岩波文庫があると、なおよい(が、ない場合もある)。 新潮文庫は背の色が作者によって違う。ヘッセの淡いエメラルド色、ヘミングウェイの鮮やかな青、トルストイの渋い灰色。ディケンズのチョコレート色はおいしそうで、カミュの銀色はずるいくらいかっこいい。まだ読んだことのない作家にも色がついていて、その色と厚みとタイトルから中身を想像してみる。スティーヴン・キングは背が黒で、なんか怖い。