「江戸っ子」は少数、「田舎モノ」だらけ? 一極集中、200年止まらず 「東京の中の“地方”」その6
写真1 東京など都市圏への人口集中の大きな要因となった高度成長期の集団就職。この写真が撮影された1965(昭和40)年、青森県からは中高卒者計7700人が県外に流れた-と当時の新聞記事は記す。写真は青森駅から上野行きの急行列車に乗り就職先へ旅立つ高校生たちと見送る父母たち=65年3月5日
本シリーズの第1回において、日本の首都「東京」には国全体の約10%、およそ1350万人の人口が居住していることを述べた。その一極集中傾向には一向に歯止めがかからず、現在も東京の膨張は続いている。なんとか、そうした流れに歯止めをかけるべく、政府も「地方創生」を旗印として、「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の展開や、さらには東京23区にある大学の定員増を原則として認めないという制限まで打ち出したものの、その効果のほどにはいささか疑問符を付けざるを得ない。しかし、このような人口の一極集中は江戸時代においても生じていたのである。今回の「東京の中の“地方”」においては、「地方」から「東京」への人の流れに焦点を当ててみたい。(小山内豊彦・青森県立保健大学特任教授)
本文:4,450文字
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