帝国議会の開設と大正デモクラシーで生まれた変化。地元への利益誘導に励む国会議員
楊洲周延作「帝国議会貴族院之図」(1890年)
▽シリーズ「東京の中の“地方”」その12(青森県立保健大学社会福祉学科特任教授・小山内豊彦)前回は、「民の声」、言い換えれば「地方の声」がどのように「中央」政治に取り入れられてきたか、について律令体制時代から江戸時代まで歴史的に振り返ってみたが、要は全くと言ってよいほど、過去の“中央政権”には「地方の声を聴く」という制度も、そもそもそうした発想もなかったことを縷々説明させていただいたところである。「現在は?」というと、単純に言えば各地方から選出される国会議員が実質的に「地方の声」、「民の声」を中央政府に伝える役割を果たしている。では戦前においては、国民の代表たる国会議員はどのような仕組みで選ばれ、どのような活動を行っていたのであろうか。ここで時計の針を、約150年ほど巻き戻してみよう。
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