表面化しにくい「シニア男性の一人暮らし」(後)…谷川俊太郎が三度の離婚を経て得た「家族観」
老い本ブームの中で、高齢一人暮らし女性の書籍は数多く出版される一方、シニア男性の一人暮らしにはなかなかスポットが当たりません。そんな少数派の高齢一人暮らし男性の哲学とこれからについて、先日亡くなった詩人・谷川俊太郎さんのエッセイにも触れながら述べていきます。 本記事は、表面化しにくい「シニア男性の一人暮らし」(前)…その実態と究極の理想の「終着点」より続きます。 【エッセイスト・酒井順子さんが、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、あらゆる老い本を分析し、日本の高齢化社会や老いの精神史を鮮やかに解き明かしていく注目の新刊『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)。本記事は同書より抜粋・編集したものです。】
シングルシニア男性の哲学
海老坂武の『自由に老いる おひとりさまのあした』(2015年)も、基本的には「あえてやっています」という雰囲気が漂う本である。フランス文学者の著者は、1934年(昭和9)生まれ。1986年(昭和61)に出したエッセイ『シングル・ライフ』が大ヒットし、話題となった。 『シングル・ライフ』では、独身を貫く海老坂がなぜ結婚しないのか、そしてどのような日々を送っているかが綴られた。今もそうだが、男性が独身の弁を述べる本は珍しく、同書の大ヒットによって、独身者のことが「シングル」と言われるようにもなった。 海老坂が独身の弁を公にすることができたのは、それが自分で選んだ状態だったからであろう。結婚がしたくてもできないのではなく、生活の「根」を持つことに対する忌避感を持っているから海老坂は結婚しないのであり、そこには拙著『負け犬の遠吠え』(2003年)に満ちる負け感は、漂わない。負け犬とは異なり、「結婚しようと思えばいつでもできたが、あえてしなかったのです」というムードが、そこには漂う。 そんな海老坂はシングルのままで老い、『自由に老いる』を出した時点で八十歳になっていた。難聴や意欲、感情の減退など、様々な心身の変化を感じつつ、彼はこの先の人生を見つめている。 海老坂もまた、永井荷風の死に方については、「いい死に方だとは思う」としている。本当は『楢山節考』のおりんばあさんの死が理想だが、「あれは家族の協力が必要だから」ということで、次善の策感覚で荷風の死を見ている模様。 このように、シニアの一人暮らしを書いた数少ない男性達は、荷風的な縛られない老年時代や、孤高の死を夢見ている。鴨長明や兼好法師から連綿と続く隠遁願望が、彼等の中には今も生き続けているのだろう。