親からの性虐待の影響で、夫のDVからも逃げ出せなかった。休む間もない子育ての中、徐々に蝕まれる私の前に、かつての自分のような子が現れた
◆正直な体、嘘つきな心 幼少期の経験により、痛みを鈍麻させて生き延びる術に長けている。こんなこと、なんの自慢にもならない。「お前に対する愛情なんてとうの昔にない」と言われても、「そうですか」と思うだけだった。あんなに愛し合って一緒になることを決めたはずなのに、私たちは何をどこで間違えたのだろう。何度も重ねた話し合いの結末は、いつも同じところに着地した。 「俺だったら、そのぐらいで傷つかない。それで傷つくお前がおかしい」 「愛情がない」と言われても、「用済みだからあっちに行け」と言われても、それで傷つく私がおかしい。話はいつもそこに行き着く。やがて私自身、元夫のその主張に流されるようになっていた。 私が神経質なだけかもしれない。 私が彼の言葉を悪く受け取り過ぎているだけかもしれない。 私の被害妄想かもしれない。 そう思おうとするたび、決まって嘔吐した。いつだって体は正直で、心だけが嘘をついていた。 繰り返される痛み、繰り返される諍い、繰り返される葛藤。そのすべてに疲れていた頃、ある出来事があった。相手のプライバシーにかかわる話なので、詳細は書けない。ざっくり言うと、かつての自分を彷彿とさせる子どもに出会った。その子どもが振り絞るように訴えるSOSを聞き、私は思い知った。昔の私と同じような子どもが、現在もそこらへんにあふれていることに。 その子どもは、無事に守られた。できることはすべてやったが、未だに「もっとできることがあったのでは」と悔いる面も多い。大人として、自分にできることは何かと考えた。経験も知識も学歴も資格もない。そんな私が思いついた、たった一つのこと。それが、「声を上げること」だった。
◆「声を上げる」ことは責務ではない ずっと、声を上げることが怖かった。過去を知られることが怖かった。大勢の当事者が声を上げている事実を知りながら、私は見て見ぬふりをした。声を上げるということは、父との約束を破るということだった。 「誰にも言うな」 「言ったらもっとひどいことが起きるぞ」 父が繰り返しすり込んだ脅しは、恐ろしいほどの効果をもたらした。父の思惑通り、私は幼馴染以外の誰にも過去を打ち明けることはなかった。精神科の医師にさえ言えなかった。言ったら本当に、ひどいことが起きると思っていた。 結論から述べると、父の脅しは嘘だった。私が全世界に向けて父から受けた仕打ちを訴えても、私の身に父の手が伸びてくることはなかった。それどころか、友達ができた。私の文章を「好きだ」と言ってくれる人たちが、だんだんと私自身を「好きだ」と言ってくれるようになった。 私の過去を知った大勢の人が、「はるさんは悪くない」と言ってくれた。書きはじめた当時の私は、ペンネームに苗字をつけていなかった。そのため、多くの人は今でも私を「はるさん」と呼ぶ。幼馴染だけが言ってくれた言葉を、「悪くない」というお守りを、多くの人が伝えてくれた。 誤解のないよう申し添えるが、当事者が声を上げることは責務ではない。声は上げられる人が上げればいいし、上げられない人は上げなくていい。そこに一切、優劣はない。むしろ当事者は、傷の回復や生活の立て直しに専念してほしいと個人的には思う。このエッセイを読んだ人に、万が一にも「声を上げていない自分」を責めてほしくない。 声を上げることで傷を負わないのは、おそらく不可能だ。私もまた、深いものから浅いものまで、数えきれないほどの傷を負った。見えるところで書く。自分の被害体験を公にする。その重さは、想像を絶するものであった。得たものと同じぶんだけ、大切なものを失った。それでも書くのをやめないのは、私と同じ目をした子どもの声が、今でも耳について離れないからなのだと思う。
碧月はる