北朝鮮内部で混乱の兆し 相反する国会と軍の動き、迷走する金正恩氏の発言
北朝鮮の朝鮮中央通信が9日、極めて珍しい報道を伝えた。同通信は同日早朝、最高人民会議(国会)が7~8日に開かれたと伝えたが、韓国敵視政策に関する憲法改正には触れなかった。これは、最高指導者の金正恩総書記が1月の最高人民会議で「憲法にある『北半部』『自主、平和統一、民族大団結』という表現を削除すべきである」と述べたうえで「次回の会議で審議すべきである」と指示した内容を反映していない。いわば、最高指導者の発言を軽んじ、権威を傷つける行為とも言える。複数の専門家や北朝鮮を脱北した元朝鮮労働党幹部は「憲法を改正したのに発表しなかったのか、国内で準備が整わず、改正できなかったのか、どちらかだろう」と口をそろえる。 この報道から約3時間後、同通信は北朝鮮軍総参謀部の発表を伝えた。9日から南北をつなぐ道路や鉄道を完全に遮断し、堅固な防御施設を設置して要塞化するという。ただ、北朝鮮は春から、南北軍事境界線をはさんだ非武装地帯を中心に地雷を設置したり、鉄道のレールを撤去したりするなどの工事は続けていた。このタイミングでの発表には、最高人民会議に関する報道と関係があるのかもしれない。元党幹部は「軍が韓国敵視政策にブレーキがかかることを懸念したのかもしれない」と語る。 外部からみると、北朝鮮は一致団結箱弁当の国家のように見えるが、実態はそうでもない。常に幹部や組織の間で権力闘争が行われている。2013年12月に張成沢国防副委員長が処刑された背景には、張氏が率いる党行政部と、軍や党組織指導部、国家保衛省との権力闘争があった。党や軍の幹部の間には「健康診断と自動車の運転には気をつけろ」という合言葉がある。元気だった党幹部が健康診断後、「胃がん」という理由で急死したことがある。張成沢氏の政敵だった李済剛・党組織指導部第1副部長は2010年6月、自動車事故で急死した。 軍が絡んだ闘争もあった。かつて、2007年の南北首脳会談当時、金正日総書記は韓国の盧武鉉大統領に対し、開城工業団地の開設を巡って、猛烈に反発した軍の説得に骨が折れたと吐露した。2006年当時、朴奉珠首相は中国向けに輸出する無煙炭を国内に振り向けるよう提言し、軍の怒りを買った。無煙炭の輸出は、軍の貴重な外貨収入源だったからだ。朴氏は2007年4月、首相の座を追われ、金正恩総書記が権力を継承した後の13年4月になって、ようやく首相職に戻った。