机を蹴飛ばし、椅子を投げ飛ばす……暴力が止まらない男子生徒を教師が「忍耐強い人」とほめた深い理由
気持ちの抑制が利かず、すぐパニックになって暴れ出す生徒が、あなたの学校にもいるかもしれない。実はそんな子ほど、不安定な自分を受けいれられず、悩み苦しんでいたりするものだ。人生の「不安定期」にあって、ときに道を踏み外しそうになる中学生に、大人はどう接し何を言ってあげればいいのか。『長谷川博之の「圧倒的実践日誌」1』からヒントをお届けしたい。
まずは子どもとの「リレーション」を高めたい
関係性の向上こそ、生徒指導の出発点である。 どれだけ粗暴で、どれだけ強がってみせても、中学3年生でその年齢は15歳にしかならない。この記事の読者の半分、または3分の1にも満たない人生経験しかないのが中学生なのである。 教師であれば、「大変な子がいる」「どうしていいかわからない」と事態を嘆く前に、自分自身を「大きく変容」させたい。愚痴る暇があるなら、「こうしよう」と具体的な工夫を考え出し、実践すべきだ。そして相手、すなわち大変な子を変えようとするのではなく、まずはお互いのリレーション(関係性)をつくろう。 関係性をつくり、高めていくうえで最も大切なのは、教師の「本業」である授業だ。 学校にはさまざまな事情を抱えた生徒が通ってくる。私たちが想像もできないような環境で生き延びてきた子もたくさんいる。私が出会ったなかでは、小学校の6年間に1日も学校に通わなかったという子がいた。不登校ではない、親が学校に行かせなかったのだ。中学校では、ある日そういう子が教師の目の前に現れることもあり得る。 もちろんこれは極端な例で、しょっちゅうあることではない。だがここまで重くはなくとも、子どもたちは大なり小なり「何か」を抱えている。そんな彼らに、私たちは何ができるだろう。「優しく接してあげる」べきか。あるいは逆に、「甘やかさず厳しく指導する」べきだろうか。
関係づくりにつながる「良い授業」とは?
私は何よりも「学力をつけてあげる」のがいちばんだと思っている。なぜならどの子も例外なく、いずれは「入試」という関門に直面することになるからだ。就職を目指す子にも基礎的な学力が欠かせないのは言うまでもないことだ。 だから私は、「学力を保障する」という一点で確実に子どもたちを支えたい。そんな思いでこれまでコツコツと「良い授業」をするための技術を磨いてきた。良い授業とは、 ・各個人ができており、学級全体も熱中して取り組む ・子どもたちが「ああ、おもしろかった!」と思わず言ってしまう ・授業が終わった後も、生徒が自主的に勉強を続けたくなる そんな授業である。 良い授業ができれば、教師と子どもたちとの関係性は自然とできていく。たとえば子どもたちに「学級全体でまとまることが大事だ」と口で言うのは簡単だが、そのような薄っぺらな道徳的アプローチが心に響くことはない。 だが授業に織り込めば、同じメッセージが全く異なる質を持ち始める。たとえば教師に十分な技量があり、良い発問・良い指示ができれば、授業中の討論で子どもたちは活発に意見を戦わせ、議論が白熱するだろう。そんなふうに盛り上がったあとで教師が、 「今のが『まとまる』ということだ」 と丁寧に意味づけて教えていけば、言葉だけでは伝わらなかった大切なメッセージが、生徒のなかにスッと入っていく。 白熱する授業をどう展開するか、このテーマについては、ごく基礎的なことをすでに本連載のなかで書いた。たとえば以下の記事である。 <そっぽを向いていた中学生が「面白い!」と全員熱中……子どもが喜ぶ授業は「システム化」から生まれる> 授業について知りたい読者にはこの記事を読んでもらうとして、ここでは授業以外の場面での子どもとの接し方や指導法について書いてみたい。