「しょーらいのユメは外人になることです!」と叫んだ少女がいたんですよ
中年ミュージシャンのNY通信、「憧れるのをやめましょう」といえば大谷翔平ですが、日本人に根強く残る舶来信仰が今回のテーマ。アメリカ音楽を愛好した末に渡米してしまった筆者も、自分のルーツに向き合ううち、奇妙で無邪気なジャパンの戦後を解きほぐすことになり……。 【画像を見る】アメリカでは入手できないニッポンのプロダクツ 「海外で暮らしてみて何が変わった?」みたいなことをたまに聞かれるのだが、たいてい「やー引っ越しくらいじゃ人間変わらんもんですな」などと適当にお茶を濁してみるものの、率直に言うと明確に変わったと思っていることがふたつある。 ひとつは脳がすっかり移動ド/ディグリー世界の住人となったため、あらゆる音楽はファとかシ♭ではなく、6とか2とか#4とか、番号に聞こえるようになってしまった。でもこれは読んでる方にあまり関係がないと思うのでもうひとつのほうに移ると、自分のなかの舶来信仰みたいなものがかなりキャンセルされてきた気がしている。 2カ月くらい前のことだけど、たまにジャムで会う友人に「ロカビリーダンサーを見てみたいんだ、ハラジュクの」と切り出され、私はどうにも難しい表情になってしまった。どうやらYouTubeで見つけたらしい。 戦争に敗けて、アメリカに占領されて、それで80年前のわが国はどうなったかというと、アメリカ大好き!になってしまった。自分たちを300万人殺したアメリカに憧れて、その格好を真似、そのカルチャーに恋焦がれるようになった。DV彼氏みたいな話だ。 敗戦から30年が過ぎて産まれた私にもそのメンタリティは色濃くプリントされていて、地元からチャリ圏内に米軍の横田基地があったのだけれど、中学生になった私たちは週末、基地の周りまで軍のゴミを拾いに行った。ステンシルが書かれた鉄のケースとか、運がいいと空薬莢が手に入った。何に使うでもない。それ自体がかっこよくて、宝物だった。 アメカジのブームが何度もあって、M-65だのN-2Bだの、もしくは550だの517だの、買えもしないのに型番を覚えたり、通ってもいない大学の頭文字が書かれた誰かの着古しを発掘したり、それが舶来崇拝だと意識することすらなく、それがよいのだと信じて疑わなかった。 前後してアメリカの音楽を聞き始め、自分の場合はロックよりファンクやソウルがカッコいいのだ、黒人音楽というやつが最高なのだ、という謎の信仰を育むようになり、レコードを買って、聞いて、また買って、聞いて、それでざっくり人生の半分が過ぎてしまった。中年あるあるだが、性欲が減っていき、物欲はほぼ失せ、食える量も減ってきたとき、最後に残る欲というのが何かというと、これが、