「しょーらいのユメは外人になることです!」と叫んだ少女がいたんですよ
これが?
「わかりたい」という欲望なのだった。 よく「好きに理由なんてない」とか嘯く人がいるけれど、私はそれを真っ向から否定する。ある女優の顔面が好きになるのも、あるサウンドの響きが好きになるのも、ある服飾のスタイルが好きになるのも、そこには必ずコードと構造とコンテクストとがバキバキに張り巡らされていて、言ってみれば「理由しかない」。 タヒチのゴーギャンではないけれど、自分はなぜこの文化を、このグルーヴをカッコいいと感じてきたのだろう、なぜアメリカに存在しない謎のロカビリーダンスのチームが日本にはあるのだろう、なぜわれわれはアイビーなんて架空のスタイルを創出して、本国では絶滅してしまった服飾を保存しているのだろう。アメリカ人のコスプレをどこの国民より熱心に続けてきたのだろう。 それがわかりたくて、わかるために私は居を移してみることに決めたのだった。むかし読んだ「タッピング・ザ・ソース」という小説があって、つまり源流に触れろってことだけど、自分の趣味趣向、おおげさに言えば魂がどこから来たのかその方角に遡行した結果、いまアメリカにいるというわけだ。 当初私はボストンの大学に通ったのだけれど、最初に教室に入った瞬間、すでに衝撃があった。壁に、壁からね、鉛筆削りが生えていたのだ。アメリカ文具に詳しい人はわかると思うのだが、その名もボストンという、日本ではとてもよいものとされている名門の鉛筆削りがあるんだけど、それが壁に雑に打ち付けてあるの。なんか釘で。 そのあまりの無造作さが、いま思えば、崇拝キャンセルの端緒だった。つまりなんでもないありふれたものをありがたがっていたわけだ、われわれは。宝物だったM16の空薬莢が、廃棄物に相対化されてしまった瞬間だった。それは寂しくもあるけれど、痛快でもあった。 言葉の問題もあった。中尊寺ゆつこのマンガではないけれど、舶来幻想に包まれた者にとって英語話者というのは、何か高邁だったりスタイリッシュに目に映るものだ。それが英語が使えるようになってくると、あれ、どうも大したこと話してないぞ、ということがわかってくる。もっと言うとバカも博士も英語でしゃべってるだけで問題は話題、という当然のことがわかる。 そうなってくると浮き上がってくるのが非対称性だ。アメリカ人もフランス人もドイツ人も、たとえばプロダクトの名前とか、企業の名前とか、少しの舶来趣味こそあれど基本的に、母語を用いて暮らしている。日本人は、なぜかうまく操れもしない外国の言葉に囲まれて生きている。私が以前暮らしていたアパートはコート・ウィスタリアといった。なんで? 最近、王様のことを思い出す。90年代、ロックの名曲を直訳日本語でカバーして有名になった歌手だ。ディープ・パープルの「Burn」なら「燃えろ~♪」てな具合である。あの人の感覚がとてもヘルシーなものだったと、いまではよくわかる。アメリカ人は言語的に「燃えろ~」とか「火の粉がパチパチ~」という直截的強度のなかで生きている。 われわれはゲワイエンタフとかセーイエニシーンといったあやふやな、ヒカリエとかキラリナとかYOSAKOIといった模糊模糊した輪郭の世界を生きている。舶来信仰がキャンセルされていくとともに、その奇妙さと頼りなさを噛み締めている。かといっていまさら着物で過ごしたいわけでもない。ただ借り物でない言葉と、借り物でないサウンドを、少しでも獲得できたらというささやかな、でも大それた願いだけが、ある。 --- 唐木 元 東京都出身。フリーライター、編集者、会社経営などを経たのち2016年に渡米。バークリー音楽大学を卒業後、ニューヨークに拠点を移してベース奏者として活動中。趣味は釣り。
Rootsy / Gen Karaki