スマホが招く「一億総無脳化」とは? ネット検索、合成AI、SNSが及ぼす脳への悪影響
今、あなたが手にしているスマホが、あなたの脳をダメにしてしまうかもしれない――。 言語脳科学の分野において、精力的に研究を進めてきた東京大学教授・酒井邦嘉さんは、スマホに頼りすぎる現代社会には「一億総無脳化」の危険があると述べている。ネット検索、合成AI、SNSに潜む落とし穴について、酒井さんの著書『デジタル脳クライシス』より一部を抜粋・再編集して解説する。 ■考える前に調べる「検索依存症」 気になる情報を調べたり、断片的にしか思い出せなかったりするとき、ネット検索が欠かせないという人は多いでしょう。スマホがあれば、電波の届かない地域を除いて、いつでもどこでも気軽に検索できます。 しかし、そうした習慣の潜在的な危険性に気づいている人は、どの程度いるでしょうか。 ネット検索の結果が膨大なら、すべてに目を通すことなどできません。先頭あたりの項目で不十分なら次のいくつかを見て、そのまま続けるか、検索の言葉や条件を変えることになります。どんなに検索エンジンが進歩しても、思い通りの要求に応えられる保証などありません。 物心ついたときからインターネットが使えた「デジタルネイティブ」世代は、ネット検索が当たり前でしょうが、その前の時代では、自力で解決できる問題か、まず考える時間を過ごす必要がありました。解決の自信がなければ、関連するテーマの本を探して読んだり、詳しい人に聞きに行ったりしたわけです。 今やそれは手間や時間がかかり、効率の悪い方法だと思われるかもしれません。しかし、その間に自分の考えを整理できたり、思わぬ発見をしたりすることは少なくなかったのです。 自分で考える前に調べてしまうことが常態化するのが「検索依存症」です。理解が不十分でも答えが見つかっただけで満足しがちですから、忘れやすいものです。結果的に同じことを何度も検索することになります。学校での「調べ学習」が、単にネット検索の結果をまとめて終わるようでは、十分な学習効果は期待できません。頭を使わずに済み、楽をすることがあたかも技術の恩恵であるかのように錯覚されています。あくまで「思考が主、検索は従」ではありませんか。 確かにさまざまな肉体労働の機械化は、大幅な作業の効率化を生みました。頭脳労働の機械化も、それと同じように作業の効率化を生むと期待されています。しかしそれは同時に、労働に対する喜びを奪い、労働の価値そのものを貶(おとし)めることにつながることを忘れてはなりません。知的活動まで失ってしまったら、人間には何が残るでしょうか。人間の尊厳までを手放すことにはならないでしょうか。 機械が人間の知能を上回ることを「シンギュラリティ」と呼びますが、そうした議論が「AIによって人の仕事が奪われる」ことの正当化につながることを私は憂(うれ)えます。人間の知能は、そもそも「効率」という尺度では測れないものですから、機械と比べること自体が間違いでしょう。