スマホが招く「一億総無脳化」とは? ネット検索、合成AI、SNSが及ぼす脳への悪影響
■考える前に合成してしまう「AI依存症」 現状のAIはデータの合成ができるだけで、人間のような生成能力があるわけではありません。用語の混同による誤解を避けるため、この記事では「生成AI」ではなく「合成AI」と呼ぶことにします。言語や画像に限らず比較的広い対象に使われる「汎用(はんよう)AI」(artificial general intelligence, AGI)もまた、合成AIであることに変わりはありません。 アメリカの言語学者ノーム・チョムスキー(1928-)は、「英語話者が新たな発話を産み出したり理解したり出来る一方、他の新たな列〔筆者註:音素(おんそ)や文字の列〕を英語には属さないものとして退けることが出来るという能力」に注目しました(『統辞構造論』ノーム・チョムスキー著、福井直樹・辻子美保子訳、岩波文庫、2014年、p.29)。 この「英語」は、日本語を含めあらゆる自然言語に置き換えることができます。ただ新たなものを産み出すだけでなく、退けたり捨てたりできて初めて、本当の意味での「生成」になるのです。その選別の能力にこそ、人間としての知能や知性が現れています。 選別の能力という点で、チャットGPTなどの合成AIは人間に遠く及びません。構造や意味はもちろん、論理や筋の通らない文章をいくらでも合成してしまいます。ですから、人間のような言語能力や創造性はないと断言できます。 チョムスキーは合成AIの脅威について、「AI-機械学習-は、言語と知識に関して根本的に誤った概念を技術にもたらすことで、我々のサイエンスを退化させ、我々の倫理を貶める」と警鐘を鳴らしています(ニューヨークタイムズ紙、2023年3月8日付)。 合成AIに小説を書かせたり俳句を作らせたりして、面白がっている場合ではありません。そうした文章はもっともらしく見せかけた「文字列」にすぎないのですから、人間のほうが無理に解釈する必要などないはずです。「新技術は賢い人にしか使いこなせない」などと喧伝(けんでん)されても、「王様は裸だ」と真実の声を上げたいものです。 しかし、学校の作文やレポートから、社内文書や公的サービスにまで、合成AIによる文章が出回る時代になりました。ワード・プロセッサー(ワープロ。以下、パソコンで使用するソフトウェアも含みます)などの機能に組み込まれた合成AIを使えば、自分で考える前に文章の作成をソフトウェアに委(ゆだ)ねてしまうことになります。これが「AI依存症」です。 AIがもてはやされる背景には「文章の作成が面倒だ」「対応には定型文で十分だ」といった、言葉を軽視する風潮があるでしょう。また、今までにない何か新しいものができるかのような、淡い期待があるのかもしれません。 しかも、「専門性を身に付けていない人にもAIによって創作が可能になるだろう」といった安易な考えは、クリエイターの仕事を軽視するものです。この風潮が広まったら、真のクリエイターという仕事は成り立たなくなることでしょうし、本人が自覚しないまま創造的な能力が低下することになります。 合成AIが無制限に使われると、過去の作品の粗悪な類似物、つまり「◯◯風」や「◯◯もどき」が大量に出回ることになります。過去の名作であっても、似たようなものが簡単に手に入るとなると、その名作は価値を失います。長年の研鑽(けんさん)と修業を積んで学芸の極致に達することの意義を、いま一度問い直す時期に来ているのかもしれません。