隣にいたボランチの“お手本”遠藤保仁の凄み。橋本英郎が語る、プロで生き残る術とは
小学6年生の頃、地元の街クラブのエースストライカーでキャプテンだった橋本英郎は、中学入学と同時に入団したガンバ大阪ジュニアユースで、100人中最下層という人生最大の挫折を経験。入団当初は毎日やめたいと嘆き、練習前には「雨よ降れ」と念じる日々を送った彼は、当時「仰ぎ見る天才」だった稲本潤一ら同期にもまれながら、橋本はいかにしてプロ契約を勝ち取り、日本代表に至る選手にまで上り詰めたのか。そこで本稿では、橋本英郎の初著書『1%の才能』の抜粋を通して、“持たざる者”の一つの成功例を紹介することで、特別な能力がなくてもプロとして成功するためヒントを探る。今回は印象的だった選手の実例も挙げながら、プロとして生き残るための武器と方法について。 (文・写真提供=橋本英郎)
「このままでは消えていく」危機感を抱いた際の気づき
いまでこそ、テクニックやスピード、パワーとは別に、それをいつ使うのか? というプレー選択の重要性が知られるようになりましたが、私がプロサッカー選手になりたての頃は、まだ、うまい、速い、強い、高いが主な選手の評価指標でした。現在ではジュニアの指導でも、サッカーのプレー選択のプロセスとして、認知・判断・実行という手順を教えるようになってきています。 そんな概念はまったく知りませんでしたが、速さ以外の“わかりやすい武器”で同期よりはるかに劣っていた私はジュニアユース時代からピッチの中では常に頭をフル回転させ、効果的なプレーを選択することを心掛けていました。 ナチュラルにやっていたのが、プレーの先読みです。攻撃時ならボールを受ける前、守備の局面なら相手のボールホルダーと直接絡む前に、周囲の様子をよく観察して、数手先がどうなるかをシミュレーションしていたのです。 自分が他の人より考えてサッカーをしていると気がついたのは、皮肉なことにプロになって数年が経ち、「このままでは消えていく」という危機感を持ったときのことでした。 危機感と生き残るヒントを同時にくれたのは、ガンバ大阪のコーチをしていた堀井美晴さんでした。