世界的指揮者・佐渡 裕に聞く「クラシック音楽の可能性」
新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督で、レナード・バーンスタインや小澤征爾に師事していたことでも知られる指揮者の佐渡裕(さど・ゆたか)。現在、Apple Music Classicalのアーティストアンバサダーを務める佐渡に、これまでの音楽活動とこれからのクラシック界への期待を語ってもらった。 世界70以上のオーケストラでタクトを振ってきた佐渡裕
「ひらがなの『て』と言う字の形でしょう」。いつもは指揮棒を握る手を開き、そのしわを見せながらそう語るのは佐渡裕さん。日本を代表する指揮者だが、ユーモア多めのトークが親しみやすさを感じさせる。 最近、2025年4月開幕の大阪・関西万博で、開幕初日のオープニングスペシャルコンサートとして佐渡が指揮をする「1万人の第九」が行われることが発表されたあたりからも、彼が今の日本クラシック音楽界を象徴する顔として見られていることがよくわかる。 そんな佐渡がプロの指揮者として活躍を始めたのは28歳の時、1989年で今からちょうど35年前だ。若い指揮者の登竜門として有名なフランスのブザンソン国際指揮者コンクールでいきなりの優勝を果たした(彼の師、小澤征爾も同コンクールの優勝者だ)。「これがきっかけで、フランスと日本で指揮者としての活動が本格的に始まりました」。新日本フィルとの関係もこの頃始まっている。その後、日仏での活躍の幅は広がるが、他の国での仕事は思ったようには増えない。「17年務めたパリのラムルー管弦楽団では首席指揮者を務めていましたが、優勝したのがフランスのコンクールで、マネージャーもフランス人。フランス以外になかなか仕事が広がりませんでした」 そこで佐渡は大きな決断をする。もう1人の師であるレナード・バーンスタインの名を冠したレナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクールに1995年再度挑戦することにしたのだ。「ブサンソンの優勝者が他のコンクールで成果を出せないというのは非常に格好悪いので、周囲からはかなり反対されました」。しかし、そうした心配は杞憂に終わり、佐渡は2つの国際コンクールで優勝を果たした稀有な指揮者となった。 「90年代の終わり頃から欧州の一流楽団との仕事が増え、これまでにフランスのパリ管弦楽団、ドイツのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や英国のロンドン交響楽団、イタリアのサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団といった名門を含む世界中のオーケストラと仕事をしました。ある時、プロフィールに書くために、これまでにどれくらいのオーケストラと仕事をしてきたかを数えたら、日本のオーケストラを含めてですが70団体を超えていて驚きました」 では、その中で最も印象深かったのはどのオーケストラか。 「子供の頃からの夢だったベルリン・フィルの指揮台はとても印象に残っています。当然凄く演奏もうまかった。ただ、練習回数が非常に少なく、3回公演があったのですが1回目、2回目、3回目でかなり演奏に違いが出てしまいました。もう1つ忘れられないのが38歳、パリ管弦楽団で初めて指揮をした時のことです」 その年はフィンランドの作曲家ジャン・シベリウスの没後40周年でシベリウスの交響曲を演奏することが決まっていた。希望を聞かれたので、佐渡は自らのお気に入りでレパートリーの1つでもある第2番をリクエストし、安堵していた。しかし、演奏会の直前になって楽団から予定変更の連絡があり、交響曲第3番を含む数曲の指揮を頼まれた。この交響曲第3番は耳馴染みがないだけでなく、譜面を見て勉強しても全然しっくりこない。それまでどこでもすぐに寝られることが自慢だった佐渡が、この時ばかりは睡眠障害を起こした。 なんとか無事に本番を終え妻と話すと、音楽に詳しくないはずの妻が交響曲第3番を知っていると言う。驚いた佐渡が詳しく聞くと「毎晩うなされて寝言でメロディーを口ずさんでいたのですっかり覚えてしまった」とわかり、苦笑いをしたのだという。