シカゴが語るブラス・ロックの真髄、ジミヘンやマイルスとの交流、日本への特別な想い
ジミヘン、マイルス、TOTOとの交流
─シカゴがジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとツアーを回ったのは有名な話です。一緒にレコーディングする計画もあったそうですが、ジミとの想い出について教えてもらえますか? ジェイムズ:僕らがウィスキー・ア・ゴーゴーに出てた時、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスはフォーラムのライブのためにLAにいて、その晩はオフだったんだ。それで僕らを観にきていた。1968年なんで、まだアルバムも出していない頃だ。ウィスキーはごく初期のシカゴにとってのホームで、毎週月曜と火曜は僕らだけでやらせてもらい、週末はヘッドライナーのためにバックを務めるハウスバンドのような存在だった。その時はブルース・ギタリスト/シンガーのアルバート・キングの前座で、楽屋でまたステージに戻る準備をしてたんだ。すると誰かがドアをノックしたんで開けるとジミ・ヘンドリックスが立っているじゃないか。「え、本物?」と驚いた。するとジミは「君らのギタリストは僕よりも上手い。そしてホーンセクションはまるでone set of lungs(肺二つ=一人の人間)が吹いてるみたいだ」と言ったんだ。そして「俺とツアーに出ないか?」と言ってくれた。「冗談だろ? もちろんさ!」。それでツアーに帯同し、前座を務めた。移動やホテルの部屋でも一緒に過ごし、ジミともミッチ・ミッチェル、ノエル・レディングとも本当に親しくなったよ。彼らは全米のアリーナのヘッドライナーを務め、人気も実力も絶頂だった。僕らは比べものにならず、ナイトクラブや大学で演奏していたに過ぎない。何千人もの客を前に演奏したのは、あの時が初めてだった。アルバムを一緒に作ろうという話もしていたが、残念ながら皆も知っているように、ジミはあまりにも早く逝ってしまった。リハーサルの予定も立てていたし、曲も一緒に書こうと話をしていたので、実現できなかったのは本当に残念だったよ。 ─マイルス・デイヴィスとはレーベルメイトでしたよね。彼と交流する機会はありましたか? ジェイムズ:マイルスは同じコロムビア・レコード所属だったので、ニューヨークの世界万博跡地で開かれたレーベルのコンベンションに招待された時に、そこで初めて会ったよ。超クールで、他の誰にもないユニークなスタイルそのものの人だった。シカゴの音楽にとってジャズは欠かせない要素だし、僕自身のアレンジにもマイルスをはじめ、ジャズ奏者たちからの影響がたくさん入っている。それと同じように、マイルスはR&Bやポップスのミュージシャンからの影響を取り入れた折衷的なジャズポップを好んでいた。その後、エレクトリックなアプローチをトランペットに取り入れた時期もあったからね。 それからずっと後の話だが、キャリア晩年の頃、マイルスはジェフ・ウォルド(業界の大物マネージャー/プロデューサー)のチームに加わった。ジェフはヘレン・レディのダンナさ。その頃、シカゴもジェフ・ウォルドにマネージメントされていたんで、ジェフの招きで僕はマリブのレストランでマイルスとランチをした。テーブルを挟んでマイルスがいて……しかもそこで持ちかけられたのは、僕がシカゴでやったようなホーン・アレンジを、マイルスのレコードでやってほしいという話だった。マイルスほどのレジェンドにそう言われただけでも光栄で有り難かったが、正直緊張していて。マイルスの頭の中を知るために、具体的に何をすればいいのかと、色々と質問したのを覚えてる。シカゴの活動もすごく忙しい時期だったので、ピアノの前で、もしくはホーンを持ってマイルスのアレンジをする時間を作るだけで大変だった。 何曲かマイルスからデモも送られてきた。「これでどうでしょうか?」「あなたが求めているのはこういうアプローチ?」と何度もやりとりを重ね、そして準備をして、スタジオに入る寸前まで行ったんだが、シカゴの活動があまりにも忙しくなり、何度か予定を延期しているうちに、マイルスの体調が悪くなってしまった。彼は股関節に爆弾を抱えていたからね。奥さんだったシシリー・タイソンとも話したよ。彼女はマイルスの世話を焼き、彼を守り、彼を元気にしようと努力していたんだ。結局、僕らのコラボレーションは、ジミ・ヘンドリックスの時と同様、実現することはなかった。ちょっと遅すぎたんだ。 ─あなたはバンドの外でもさまざまなセッションに参加してきましたよね。中でもTOTOのレコーディングに参加したことがよく知られています。どんな風に彼らとやることになって、どうやり遂げたのかを教えてもらえますか? ジェイムズ:これまで様々なシカゴ以外のプロジェクトに招かれ、アレンジを頼まれたのは、本当に光栄なことだ。『TOTO IV』の時はアレンジはしていない。それでもジェリー(・ヘイ)とTOTOのメンバーたちの希望で僕は「Rosanna」とか何曲かのセッションに呼ばれたんだ。そりゃあ、感激したよ。彼らは業界きってのファーストコール・スタジオミュージシャンたちだ。そんな一流ミュージシャンが集まったのがTOTOだった。彼らからは僕がシカゴで作ったサウンドが昔から好きだったと言われた。そのテイストを自分たちのアルバムに欲しい、とね。それでスタジオに行くと、当時LAのレコーディングをすべて手がけていた強者のミュージシャンが勢揃いしていた。ジェリー・ヘイ、トム・スコット、ゲイリー・グラント……そんな中に自分が招かれたなんて、本当に光栄極まる経験だったよ。それ以外にもいろんなセッションに参加しているが、シカゴ以外のプロジェクトをやるのはいつも楽しいね。自分たちのための曲ばかり書いているんで、たまに他のミュージシャンたちのアレンジをやると、いい気分転換になる。