松岡修造さんが考える「日本の子どもの弱点」とは? 最後までやり抜く力を育てる親の態度
松岡修造さんは世界トップレベルのテニス選手でしたが、同時に、さまざまな競技を観戦し、応援することも大好きでした。「がんばれ!」と心から応援した言葉は、自分にも返ってくるから──。(取材・文:鈴木裕子、写真:金子睦) 【マンガ】「集中力が高い子ほど、乳幼児期に体験している「フロー状態」とは? ※本稿は『PHPのびのび子育て』2020年7月号から一部抜粋・編集したものです。
単純に「根性がついた」だけじゃない
正直なところ、プロテニス選手としての現役時代は、ケガや病気に悩まされたり、実力的にもなかなか世界の壁を破れなかったり、苦しい時期もありました。 ですが、スポーツによって得られたものは少なくありません。トレーニングによって体が鍛えられたことはもちろん、メンタルも強くなりました。 ただ精神面が強くなったといっても、単純に「根性がついた」というのとは、少し違うんです。そのあたりをご説明するためにも、僕が初めてテニスラケットを握った頃のお話から始めましょう。
ちょっとしたことで人生は劇的に変わる
僕はもともと水泳を習っていたのですが、姉がテニスをしているのを見て興味がわき、テニススクールに通うようになりました。テニスをするのは本当に楽しくて、すぐのめり込みましたが、さほど上手でもなかったので、まさか自分がプロになるとは思ってもみませんでした。 そもそも当時、日本の男子テニス界には、錦織圭選手のように世界で活躍する選手がおらず、そういう世界を想像できなかったということもあります。 テニスで生きていこうと思うようになったのは、18歳のとき。アメリカにテニス留学して、現地の大学に進もうとしていた矢先、ある大会で思いがけず、いい結果が出たのです。 そのときに、「とりあえず2年間、プロとしてやってみないか」とコーチに言われ、プロ転向を決意しました。もしも、その大会で早々に負けてしまっていたら、プロにならなかったかもしれないと考えると、行動を起こすことで運が向いてくるということはあるのでしょう。 とはいえ、その時点でのテニスの実力は、とうてい世界に及びませんでしたが、だからこそ挑戦したいと思いました。不安よりも、チャレンジしたい気持ちのほうが勝ったのです。