日本では、「がん以外の患者の死」は今後ますますおざなりになるという「信じがたい未来」
診療報酬の壁
なぜ透析患者(腎不全患者)には、十分な緩和ケアの体制がとられないのか。なぜ患者は、塗炭の苦しみの中で死んでいかなくてはならないのか。 理由のひとつに、診療報酬の問題がある。私が夫の主治医から説明されたように、緩和ケアの保険適用の対象が、がん患者(とAIDS患者、重度の心不全)に限定されているからだ。 かつて、日本の緩和ケアは諸外国に比べて大きく後れをとっていた。限られた医療資源はまず、国民の2人に1人が罹るといわれた「国民病・がん」に投入された。2006年、「がん対策基本法」が成立。がんによる死亡者の減少に加えて、「すべてのがん患者及びその家族の苦痛の軽減並びに療養生活の質の維持向上」という項目が基本計画に追加された。家族も「第二の患者」としてケアの対象とし、ホスピスの整備、緩和ケアチームの設置、専門医の育成、グリーフケアまで一貫した体制が整えられてきた。 さらに診療報酬改定のたびに加点がなされ、2010年には「がん患者カウンセリング料」を新設。外来で治療を始める前の、相談の段階から診療報酬が支払われるという手厚い体制がとられた。近年では、がんと診断されたときから緩和ケアを取りこんでいく方針も広がり、がん患者に対する緩和ケアは年々、充実がはかられている。 一方で、末期腎不全患者の緩和ケアは、医師がいくら対応しても相応の見返りがない。乱暴に書けば、保険適用がないからタダ働きになる。まして緩和ケア病棟に透析患者を受け入れ、症状を緩和するために透析をまわしでもすれば、保険適用外のため病院に多額の持ち出しが生じてしまう。病院経営は慈善事業ではない。だから多忙な医師が、業務の「合間」に看取りを行わざるをえなくなる。彼らの多くは、林の主治医がそうだったように、終末期の患者の痛みを和らげる十分な技術を持ちあわせていない。 加えて、「2040年問題」は、今後をさらに悲観させる。2040年までに、都市部で医療や介護の需要が爆発して通常の対応が困難になり、地方では病院や介護事業所の撤退が相次ぎ、国内全土で深刻な医療崩壊が起きることが懸念されている。医療の現場では当然、死よりも生、救命が優先される。このまま環境整備が追いつかなければ、がん以外の患者の死がおざなりにされる傾向はより強まっていくのではないか。 がん患者に比べて、透析中止後の腎不全患者の余命は、長くても数週間。現れる症状は激しいが、緩和ケアが必要な期間は短い。だから緩和ケア加算を付与しても、財政的に大きな負担にはならないのではないかという現実的な指摘も、ここ数年、取材先でよく耳にする。 国を挙げての取り組みもあって、がんを死因とする人の比率は4人に1人になった。今や、がん以外の疾病で亡くなる人のほうが圧倒的に多い。がん医療で培ってきた緩和ケアの人材やノウハウを、他の疾病へと展開していくタイミングが来ているのではないか。 * 連載記事〈「早朝に通院、4時間の透析を終えてから出社」「飲みたいのに、水も飲めない」…多くの人が知らない「働く透析患者」の過酷な生活〉では、過酷な透析医療の現実について見ていく。
堀川 惠子(ノンフィクション作家)