日本では、「がん以外の患者の死」は今後ますますおざなりになるという「信じがたい未来」
「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった」 なぜ、透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか? どうして、がん患者以外は「緩和ケア」を受けることさえできないのか? 【写真】なぜ日本では「透析患者の死」を語るのはタブー視されるのか? 10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした夫(林新氏)。その壮絶な最期を看取った著者が記す、息をのむ医療ノンフィクション、『透析を止めた日』(堀川惠子著)が刊行された。 『透析を止めた日』は、これから透析をする可能性のある人、すでに透析を受けている人、腎臓移植をした人、透析を終える時期が見えてきた人だけでなく、日本の医療全般にかかわる必読の書だ。 本記事では、〈透析患者には「緩和ケア」がなく、行き場がない…多くの人が知らない、「透析患者」はどのように死を迎えているのか〉につづき、なぜ透析患者には、十分な緩和ケアの体制がとられないのか見ていく。 ※本記事は堀川惠子『透析を止めた日』より抜粋・編集したものです。
透析非導入患者の最期
「その患者さんは約2週間、ベッドで、胸水でもだえ苦しんで亡くなっていかれました。尊厳死を希望したとはいえ、こんな亡くなり方が許されるのか……。こんな重大な選択を、たったひとりの医師が判断してよかったのか、私は今も疑問に感じています」 大勢の医療関係者を前に、沈痛な面持ちで語るのは、大阪府松原市で透析クリニックを開業する清田敦彦医師。2023年、神戸で開催された日本透析医学会・一般口演での一コマだ。透析患者の死と同様、透析を導入しない状態で死を迎える腎不全患者の終末期にもまた厳しい現実がある。 患者は80代男性(Aさん)。清田医師が非常勤で勤めていた病院の患者だ。一般内科の主治医が、腎臓内科に紹介してきた。生活は自立した独居で、通院は自転車。腎不全以外は合併症も認知症もない。透析を導入すれば予後は良いように思えた。清田医師は数回、Aさんを診察した。透析を導入すれば、まだまだ元気で過ごせると何度も伝えたが、男性には透析に対して強い拒否感があった。 しばらくして、清田医師はAさんのことが気になってカルテを開いてみた。すると彼はもう、この病院で亡くなっていた。看護記録には「息ができない、呼吸させてくれ」と苦しみながら逝った様子が詳細に記されていた。死因は肺水腫、溺れるような死。腎不全患者がもっとも恐れる症状である。 本来なら主治医がベッドサイドで、時間をかけて話をせねばならなかったのではないか。患者が亡くなったとき、主治医は片道40分のジムに出かけていたと知った。せめてジムに通う時間を、患者さんのために割いてあげられなかったのかと怒りがこみあげたという(この部分は後日の取材に基づく)。 近年、治療のプロセスにおいて行き過ぎた医療者主導を是正し、透析を導入しないことも患者の権利とする傾向が強まっている。これに対して、清田医師は口演で、「医療者の倫理観の発露」という観点も重要だと訴えた。患者の自己決定権は、十分な情報提供のうえにあるべきもの。「尊厳死」は軽々しく患者に委ねていいものではない。ことに透析に対する偏見で、透析導入に拒否感が強い患者には正確な情報が伝わりにくい。医療倫理に基づく医師の主導も場合によっては許されるべきではないか。 清田医師の口演が終わるや、会場の東京慈恵会医科大学の医師がすぐに挙手した。 「患者本人の決定が本当に患者にとって利益があるのかどうか、医師は、ときに患者を少し引き戻すことも必要だと思います」 参加者の頭がウンウンと揺れる。 間髪をいれず、壁際に立っていた別の外科医が続いた。 「意思決定の問題もさることながら、この病院の患者さんへの緩和ケア、完全に失敗していますよね? はっきり申し上げて、首を吊る人の足を引っ張っている」 怒りに満ちた口調に、医療者としての憤りが噴き出すようだった。 人生の価値をどこに置くかは、ひと様々。自分の人生の操縦桿は、自分の手で握っていたいと私自身も思う。たとえ長く生きられなくとも、透析を選択しない生き方もあるだろう。問題は選択に際して、これから起きる事態が十分に伝えられているかどうか。さらに、慢性腎不全は本来、透析を行わなくても、治療を要する病だ。病の進行を穏やかにし、日々の苦痛を和らげる療法はある。しかし現実は清田医師の挙げた事例のように、透析を導入しない多くの患者は医療から見放される。 病院でなく、自宅で亡くなる腎不全患者の死に至っては、統計上の数値にすら現れない。ジャーナリストの石川結貴さんが直面したケースを取り上げたい。石川さんは2022年、実家に暮らす80代後半の腎不全の父親を遠距離介護で看取り、その経験を『家で死ぬということ』という本にまとめた(この著作は2024年大宅賞の最終候補になった)。お会いして詳細をうかがうと、過酷な現実が見えてきた。 石川さんの父は、近所の医師に腎臓の数値の悪化を指摘され、市内で唯一の総合病院を受診。そこに石川さんも同席した。腎臓内科は週に一度だけ、市内の透析クリニックの医師が担当する体制だ。初診の日、医師は何の説明もなく透析の導入を進めようとした。父には自覚症状が乏しかった。透析に拒否感を示すと、医師は「透析やらないんだったら、もう来なくてもいいですよ」と言い放ち、診察は打ち切られた。 本には書かなかった続きがある。市内にシャント手術のできる病院は一軒もない。尿毒症がひどくなり、車で1時間かかる大学病院に出向いたときのことだ。腎臓内科の医師は、病院がいかに忙しいかを強調し、急に透析をやりたいと言われても対応できないと説明。石川さんが、非透析の予後を尋ねると、不機嫌そうにこう言ったという。 「私が何十年も医師をやってきたなかで、透析を拒否した人が何人いると思うんですか? たった2人ですよ。その2人も、最期は心停止で、うちの病院に運ばれてきて死にました。そこに至るまでの苦しみなんて、私には分かりませんよ」 透析という「標準治療」を選ばなかった患者が、いかに扱われるかを痛感した石川さんは、もう病院に頼るのは止めようと覚悟を決めた。実家で少しでも穏やかに父親を看取ろうと、腎不全患者の終末期の情報をあらゆる方面から必死に調べた。石川さんは私と同じ取材を生業とする人だ。医療系の専門教育を受け、福祉や介護に関する著作もある。その石川さんですら、目当ての情報には何ひとつヒットしなかったという。石川さんは父の人生に最後まで寄り添い、看取りをやり遂げた。それから季節が二巡した今も、父の苦しむ姿は忘れられないという。念を押すが、一連のできごとは、2019年に福生病院の問題が取り上げられて以降のことである。