早産・指定難病・医療的ケア…娘たちの命と向き合い乗り越えてきた。その過去に迫る
次女つむちゃんの緊急手術と気管切開
今まで2つ並んでいた保育器が1つになり、いとちゃんがいたはずのNICUに通う日々は寂しいものだったといいます。 ※NICU…「Neonatal Intensive Care Unit」の略で、新生児集中治療室のこと。 しかし、いとちゃんを亡くした悲しみに浸る余裕もなく、つむちゃんの治療に向き合わないといけない日々。栄養を入れても消化されずにお腹が張り、体重も増えないのです。 つむちゃんの病状は好転せず、生後3ヶ月の節目を祝った翌日、お腹の病気に強いといわれる病院に移ることになり、そこで人工肛門を立ち上げました。ですが「多少の改善はあったものの、思うような結果は得られませんでした」といいます。 さらに生後5ヶ月を過ぎたある夜、人工肛門の出口から腸が飛び出したことをきっかけに腸に穴が空き、緊急手術となったのです。 「真夜中に病院へ駆けつけたとき、亡くなる直前のいとちゃんと同じ顔をしたつむちゃんがいてものすごく怖くなりました。命の確約のないままオペ室へ送り出しましたが、つむちゃんの帰りを待つ時間はとても長く感じました。今まで幾度も娘たちの手術に立ち会いましたが、この手術ほど1分1秒を長く感じたことはありません。夜明けを前にして、無事につむちゃんが帰ってきてくれたときは心からホッとしました。麻酔から覚めたつむちゃんが『おさるのジョージ』の絵本に目をキョロキョロして絵を追っかけていた姿を見て、安堵したのを覚えています」 また、つむちゃんは長く酸素の管を口から挿管していたことが影響し、気道が狭くなってしまったといいます。そのため、体重が2500gを超えた生後7ヶ月を過ぎたころ、気管切開の手術をしました。 ご両親は当初、喉に穴を空けて呼吸をすることに抵抗があったようですが、気管切開をすることでつむちゃんの行動範囲が広がったといいます。
つむちゃんの退院後について
その後、お腹の容体が落ち着いたことで人工肛門を閉じることができ、つむちゃんは気管切開の状態で退院を目指すことになりました。いとつむぱぱさんとママさんは医療的ケアのトレーニングを積み、1日でも早く一緒に暮らせるよう、受け入れの準備を万全に整えたといいます。 1歳の誕生日を目前にしたころ、お世話になった医師、看護師の皆さんに見送られて退院することができました。 「ようやくこの日を迎えられたことがとても嬉しかったです。初めて外に出たつむちゃんは、不思議そうな表情をしていました。親としては今後の暮らしへの不安もありましたが、家で過ごす家族の時間はやはり幸せなものでした」 退院後は、家の中にあるものをあれこれと手に取り、楽しそうにしていたといいます。つむちゃんにとってお家は病院の中とは違い、日々刺激の連続。 しかし、気管切開に伴う痰の吸引を頻繁に行うなど、医療的ケア児ならではの負担もありました。また、体調を崩しやすく、肺炎などで入退院を繰り返すこともあったといいます。 ※医療的ケア児…医学の進歩を背景として、NICUなどに長期入院した後、引き続き人工呼吸器や胃ろうなどを使用し、たんの吸引や経管栄養などの医療的ケアが日常的に必要な児童のこと。 「遠くへのお出かけはしばらくできませんでしたが、近所のカフェに行ったり、公園に行ったりするだけでもいい刺激になったように思います。表情が豊かで楽しそうに過ごしていました」 また、一番大変だったのは食べないことでした。 「気管切開をするまでの約8ヶ月間、口から食べたり飲んだりできなかったので、飲み込むことそのものを嫌がるようになっていました。食材や形態を変えてもだめ。試行錯誤の連続でした。嚥下専門の医師にオンラインで診ていただいたことで、ようやく改善の兆しが見え、2歳7ヶ月で経管栄養のチューブが外れました。それでも、スムーズに食べられるわけではなく、食事に1時間以上かかることが当たり前の毎日でとても苦労しました」