早産・指定難病・医療的ケア…娘たちの命と向き合い乗り越えてきた。その過去に迫る
長女いとちゃんが壊死性腸炎から合併症が起き…
しかし2018年6月、生まれてわずか1ヶ月で長女いとちゃんは、壊死性腸炎から合併症を起こしました。 「前日に便がなかなか出ないという報告を受けていましたが、これが壊死性腸炎の予兆とは思ってもいませんでした」 翌朝、病院から「手術の可能性があるから説明の時間が欲しい」と電話がありましたが、その30分後に再び電話が鳴ったのです。 それは先ほどの電話と違う緊迫感で「急いで病院に来てほしい」と…。 いとつむぱぱさん家族が病院に着くと、そこには血のついた保育器がありました。いとちゃんが手足を動かす姿を見て、少し安心したのも束の間、医師から壊死性腸炎を起こしたあとに多臓器で出血が起こり、かなり危険な状態であるという説明があったといいます。 「前日まで手足をたくさん動かして、表情豊かだった子がどうしてこうなってしまうのか。状況を飲み込めず、ただただこの危機を乗り越えてほしいと願っていました」 いとちゃんはその後危篤に…。その際に、医師から「最期に抱っこをしてあげましょうか」と言われたいとつむぱぱさんは、あることを思い出します。 「海外で双子の片方の赤ちゃんが危篤のときに、もう一方の子が手を触れると奇跡的に息を吹き返したという話を耳にしたことがありました。もしかしたら、つむちゃんがいとちゃんを助けてくれるかもしれない。とっさに思いついて、双子を一緒に抱っこさせてもらいました」 しかし、すでにいとちゃんの顔色は悪く、目線はどこを向いているのか分からない状態。保育器から出てきたつむちゃんは足をバタつかせ、声は出せませんが大泣きしていたといいます。 「つむちゃんなりに一生懸命パワーを送ってくれたんだと思います。生後40日、お互い別々の保育器に入っていた2人の、ママのお腹の中にいたとき以来のひとときでした。これがこの世での最初で最後の双子の時間となりました。このときの感情はあまり覚えていません。ただただ、いとちゃんが目を閉じて遠くへ行ってしまわないよう、 ひたすらに叫んでいた気がします」 長女いとちゃんは、2018年6月15日お空へと旅立ちました。