6分間で衝撃ハットトリックのFWオナイウ阿道はW杯アジア最終予選の秘密兵器になれるのか?
衝撃を与えても謙虚さを忘れなかった25歳のストライカーは、5月28日のミャンマー代表とのアジア2次予選から幕を開けた5連戦に、当初は招集されていなかった。 不動のワントップ、大迫勇也(ヴェルダー・ブレーメン)が左内転筋を痛めた関係で急きょ追加招集されたのが6日。北海道コンサドーレ札幌とのYBCルヴァンカップを戦った札幌から、同日夜に慌ただしく大阪へ入った。 翌7日のタジキスタン代表とのアジア2次予選をベンチで見守り、セルビア戦の後半開始からMF古橋亨梧(ヴィッセル神戸)に代わって代表デビュー。19分にはカウンターからMF伊東純也(ヘンク)のクロスを最後は体勢を崩し、股間を左ポストに打ちつけながら執念で押し込んだが、無情にもオフサイドを宣告された。 「後になって映像で見たら、やっぱりオフサイドじゃないと思ったんですけど」 幻のゴールに思わず苦笑いを浮かべたが、特筆すべきは合流から短い時間のなかでセルビア戦、そしてキルギス戦とチャンスを呼び込んでいる点だ。 「一人で何かができるタイプではないし、足も速いわけでもない。周りに生かされる上で自分を知ってもらうのが大事なので、短い時間で積極的に自分の特徴であるとか、こうしてほしい、ああしてほしいというのを味方とすり合わせていけたら」 こう語っていたオナイウは、A代表への招集そのものが2019年11月のベネズエラ代表との国際親善試合以来となる。しかも、当時はピッチに立っていない。ゼロベースから自分が得意とするプレースタイルを伝え、仲間たちの特徴もインプットした。 すぐに順応できた背景は、苦労の方が多かったサッカー人生を抜きには語れない。 ナイジェリア人の父と日本人の母を持つオナイウは、生まれ育った埼玉県神川町のクラブで小学校2年生のときにサッカーをはじめる。正智深谷高の3年時にはインターハイで3位に入るなど、大きな期待を背負って2014年にジェフ千葉入りした。 J2でプレーした3年間で10ゴールにとどまり、2016年のリオデジャネイロ五輪にはバックアップメンバーとして現地へ帯同。2017年に浦和レッズへの完全移籍を果たすも、J1リーグ戦の出場はわずか1試合に終わった。 2018年にJ2のレノファ山口、2019年にはJ1の大分トリニータへ期限付き移籍。後者で10ゴールをあげた活躍が森保一監督に認められて、前述のベネズエラ戦に招集された。しかし、10ゴール目をあげてから実は約3ヵ月もの空白が生じていた。 「結果を出せていなかったなかで、出場機会を得るための信頼を勝ち取れなかった」 当時をこう振り返るオナイウは、今回は違うと力を込める。2年目を迎えたマリノスのワントップとしてJ1得点ランキングで3位、日本人選手ではトップの10ゴールをマーク。追加ながらも満を持しての招集に、これまでのサッカー人生を投影させる。 「毎年のようにチームを変わり、いろいろな経験をしてこなかったらこの場にいなかったかもしれない。多くの人と出会い、さまざまな経験をしてきたなかで、選手としての幅が広がったというか、僕一人で勝ち取ったものではないと思っています」