あたたかな星の家
象徴的思考のあたたかさ
雨女だとか、黒猫は不吉だとか、とかく関係ないもの同士を結びつけてしまう「象徴的思考」に、科学的思考は抗おうとし続ける。まるで重力から逃れようとするロケットのようである。衛星のように理性が囚えられて周回し始め、「疑似科学」が生まれたりする。星占いを疑似科学とする向きもあるし、星占いを統計で分析してその妥当性を探ろうとする向きもある。元々星占いは天文学と一体だった分、両者のあいだに作用する重力のようなものもまた、払拭し難いのかもしれない。 たとえ占星術が「この宇宙全体の理法」を語るものではなくなっても、神々の神聖なる意志との結びつきが「さておかれて」も、人間が星占いを捨てなかったということに、私は大地のあたたかみと不思議さの両方を感じる。星を読む営為は今や、確かに地上の営為である。地上に生きる者達の物語で、天空が埋め尽くされる。科学が人間の人生のナラティブを解体し相対化すればするほど、むしろ星占いや様々なスピリチュアリティの提供するナラティブが、大きな意義を持ち始めてしまう、というようにも思える。 ゆえに詩人の歌は私たちの目に、忘れられた古代遺跡とは違って映る。それは今も人の心が住まう、やさしい天空の家である。
石井 ゆかり(ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆。)