【ニューイヤー駅伝】10000m日本記録保持者の塩尻和也とSUBARUのエース清水歓太 群馬出身同学年ライバルの軌跡
3年目はトラックで自己記録を次々に更新し、9月の全日本実業団陸上5000mで13分22秒25(5位、日本人2位)をマーク。11月の八王子ロングディスタンス10000mでは清水が27分45秒04で、27分45秒18の塩尻に先着した。 塩尻もその年4月に5000mで13分22秒80と自己記録で走っていたが、9月にタイムで抜かれ、11月には10000mの直接対決に僅差で敗れた。「2種目ともコンマ何秒で悔しかったです」(塩尻) SUBARUは清水の入社3年目、22年のニューイヤー駅伝で2位と大躍進を遂げた。清水は当時最長区間だった4区で区間8位。3人を抜いてチームを3位に浮上させた。チーム改革の成果が、奥谷監督の想定以上に現れた駅伝だった。 清水は22年3月に10000mで27分31秒27をマーク。この種目でも当時の塩尻の自己記録を上回り、22年オレゴン世界陸上参加標準記録(27分28秒00)にも3秒と迫った。 しかし塩尻も、21年秋の清水の躍進が「こちらもモチベーションになりました」と振り返る。12月には5000mで13分16秒53の自己新をマーク。清水を記録で抜き返し、5000m、10000mでも世界が見え始めた。 22年は故障もあって停滞したが、23年のブダペスト世界陸上(5000m)、杭州アジア大会(10000m)に出場。そして12月には日本選手権10000mで27分09秒80の日本新、その年の世界8位記録と躍進した。 ■2人とも異なるプロセスで臨むニューイヤー駅伝 2人ともパリ五輪代表入りはできなかったが、ライバル関係が世界を目指す上でもプラスに働いてきた。清水が塩尻との関係を次のように話していた。 「ライバルでもあり、目標でもあるんです。レースに出るときに自分の目標は当然あるのですが、塩尻選手に勝てたらOKと感じるときもあって。塩尻選手が頑張っている限り、目標が下がることはありません。10000mの日本記録は一番出してほしくない相手に、自分が出したいタイムを出されて一番悔しかった。(日本人最初の)26分台も自分が出すつもりでいましたから。塩尻選手に追いつくにはオリンピックに出なければいけませんし、そのレベルの結果を出す。その目標を消してはいけないとずっと思って来ました」。