ロシア語対ペルシャ語・アサド政権下で繰り広げられた周辺国の言語による覇権争い
シリアの学校では第2外国語は英語かフランス語が選択できていた。ロシアがシリア情勢に介入してからは、ロシア語が英語、フランス語に加え第2外国語の選択肢に加えられることになった。ペルシャ語は加えられなかった。 だがイランはあきらめなかった。イラン・シリア間で結ばれた合意に基づく教育・指導・科学面の交流に乗じて、イラン文化諮問委員会を結成。イラン文化諮問委員会はイランが修繕工事を行い再開した学校では、ペルシャ語を教えることをシリア政府に義務付けた。
首都ダマスカスやホムスの大学、シリア軍大学校等にもペルシャ語の教科を加えさせた。また、シリア各地にホメイニのハウザ(シーア派神学校)の分校を開校した。 シーア派には「フセイニーヤ」と呼ばれる宗教施設がある。首都ダマスカスや地中海沿岸の港湾都市があるラドキヤ県やタルトゥース県などにフセイニーヤがオープンした。 「ホッジャ」と呼ばれるシーア派高位イスラム法学者のセンターや、「教師教育大学」「ムスタファ大学」「ファーラービ大学」「アザード大学」といったイランの大学の分校や、イラン系各種イスラム分派の大学をも開校した。
とくにテヘラン~ベイルートのルート上にあって、イラン系武装勢力の活動の活発なイラン支配地域であるデルゾールやアルブカマールやアル・マヤーディーンといったイラク・シリア国境近くに多くの学校が開校された。 ■シリア住民の貧困さをも利用した ISIS(イスラム国、イスラム過激派組織)を追放した後のデルゾールやアルブカマールやアル・マヤーディーンでは、2018年以降にイランの宗教観やイスラム革命思想、ペルシャ語を教える幼稚園や学校やカルチャーセンターが数多く開校された。
これらの地域では、安月給に耐えられず教師が辞めるなどの理由で、教師不足に陥っていた。また賄賂や汚職などの不正もはびこり、教育制度が破綻していた。 イランはその状況とシリア東部住民の貧困を利用した。奨学金や給食、食料品の支給、遠足などで釣って、子どもや青少年をイラン系の学校に通わせた。 また看護や救急救命医療、電気製品の整備や経理・事務、女性には料理や裁縫、美術などの職業訓練を無償で提供した。教育機関や訓練所に通う者らを講演やシーア派宗教行事、文化活動に参加させ、シーア派思想を広めていった。