東京五輪7人制ラグビー挑戦の福岡堅樹がTLラスト試合で”有終の美トライ”「15人制の日本代表に戻ることはない」
パナソニックの仲間たちには、開幕から2試合でチームから離れると告げていた。中途半端な形に映ってしまうのは、ワールドカップ後から福岡が何度も繰り返してきた自問自答が影響している。 「ラグビーの勢いというものがいま、ものすごく来ている。この人気を冷めさせずに、さらに高めていくために自分にできることだと思い、今シーズンのトップリーグに少しだけ挑戦させてもらいました」 クボタスピアーズを34-11で一蹴した12日の開幕戦では、圧巻の2トライをあげた。特に左隅へ飛び込んだ前半21分の2つ目は、ハーフウェイライン付近でパスを受けてから50メートルを一気に加速。1万7722人が駆けつけた、ホームの県営熊谷ラグビー場のスタンドを熱狂させた。 そして、日本がベスト8進出を決めたスコットランド代表戦で決めた2つ目のトライをほうふつとさせた、今節でのインターセプトからの独走トライ。2試合で3つのトライを決め、鮮明な残像を置き土産として刻んだ福岡の視線は、高校時代から描いてきた人生の青写真へと向けられている。 「現状ではっきりと言えることは、15人制の日本代表に戻ることはまずないと自分のなかで決めていること。トップリーグに関しては、次のシーズンあたりまでは可能性はあるというか、自分自身、そこまではプレーできたらいいな、という気持ちはあります。ただ、その次のシーズンに関しては、基本的には優先順位を勉強にシフトするという形でいこうと思っています」 祖父が内科医、父が歯科医という家系で育った福岡は、物心がついたときには医師という職業へ漠然と憧憬の念を抱くようになっていた。福岡高2年のときにひざに大けがを負い、その際に手術を執刀した医師から受けた大きな薫陶が、憧れを明確な目標へと変えた。
現役時、一浪時と筑波大医学群を目指すもサクラは咲かず、一浪時の後期試験で筑波大情報学群に入学。ラグビー部に入部し、2016年春の卒業後はパナソニックを舞台に活躍し、50メートルを5秒8で走破するスピードを武器に日の丸を背負う存在になっても、医師になる夢が消えることはなかった。 ラグビーのカレンダーを見れば、高校在学中にワールドカップ日本大会の、大学在学中には東京五輪の開催が決まっていた。母国で開催されるヒノキ舞台へ挑み、完全燃焼を果たして、いよいよ医師の道へと進む。心から愛するラグビーへ今年で15人制に、今夏の東京五輪で日の丸に、そして来シーズンのトップリーグでラグビーそのものに、まさに段階的に別れを告げていく。 「前提として五輪の代表メンバーに入ることが大変で、そこまで大それたことは言えないんですけど、実際にリオ五輪を経験した者として、オリンピックでメダルを獲るか獲らないかの差を本当に感じました。4位でも僕たちにとっては快挙でしたけど、それでも周りの競技の活躍に埋もれてしまい、ちょっと悔しい思いもしました。やるからには必ずメダルを目指したいし、そのための努力を続けて、残された時間を最高のものにしていきたい」 苦楽をともにしてきた仲間たちに東京五輪でのメダル獲りを誓い、稲垣や堀江、キャプテンの坂手らからは「トップリーグで優勝するからな」と、今後のことは心配するなと背中を押された。笑顔で再会を果たすために。トップスピードへ到達する驚異の加速度が“フェラーリ”と形容された韋駄天ぶりをさらにグレードアップさせ、再び日本中を熱狂させるための壮大な挑戦が幕を開ける。 (文責・藤江直人/スポーツライター)