五輪では圧巻も…。A代表で影が薄かった日本人(3)本田らには敵わず…。ロンドン五輪の中心MF
世代別のサッカー日本代表で活躍したのち、A代表でも中心選手に成長する選手は多くいる。一方で、世代別代表で存在感を放ちながらも、A代表にうまく定着できなかった選手も枚挙に暇がない。今回は、五輪代表として期待を集めながらも、その後苦しんだ選手をピックアップして紹介する。(データは『transfermarkt』を参照)
MF:東慶悟(ひがし・けいご) 生年月日:1990年7月20日 五輪での成績:6試合0得点1アシスト(ロンドン五輪) A代表通算成績:出場なし ロンドン五輪(ロンドンオリンピック)でU-23日本代表は4位になった。メダルまであと一歩のところまで迫った大会でU-23日本代表の背番号10を背負ったのが東慶悟だ。 東は大分トリニータの下部組織で育ち、18歳だった2009年にJ1リーグデビューを果たした。すぐに定位置を確保すると、2010年にはU-21日本代表として出場したアジア競技大会で優勝に貢献。大宮アルディージャへ移籍した2011シーズンは、J1で27試合に出場して8得点4アシストの活躍を見せ、ロンドン五輪のメンバーに選ばれた。 U-23日本代表では、清武弘嗣、大津祐樹とともに2列目のポジションに入ることが多かった東は、観る者を魅了するようなラストパスが最大の武器で、チームの攻撃のカギを握る一人として存在感を示した。フィジカルが強くボールを失うことが少ないトップ下として周囲から信頼され、準決勝のU-23メキシコ代表戦では大津の先制点をアシストし、ロンドン五輪全試合に出場した。 しかし、A代表には縁がなく、2013年5月に1度招集されたことはあるが、出場機会はなかった。その大きな要因の一つはポジション争いだろう。当時アルベルト・ザッケローニ監督が指揮を執っていた日本代表には、トップ下を置くときは本田圭佑のようなトップレベルの選手がいた。ヨーロッパで活躍する選手たちが多くいるこのポジションは競争も熾烈で、五輪で10番を背負った東でも定着は難しかった。
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