【特集】試練乗り越え期待の柱に!さらなる飛躍目指し今年も奮闘 阪神タイガース・大竹耕太郎「読売テレビ「あすリートPlus」)
■38年ぶりの日本一に貢献 阪神タイガース・大竹耕太郎
38年ぶりの日本一で2023年の野球界を沸かせた阪神タイガース。そんな阪神タイガースの先発の柱としてチームを牽引したのが、キーマン・大竹耕太郎(こうたろう)選手です。チームとしてはもちろん、個人としても目覚ましい活躍をみせた大竹選手の2023年。その裏には計り知れない覚悟がありました。 純黒のプライド ~天理大学ラグビー部 2021 激闘の記録 ~ (大竹)「今後の野球人生に向けて、この28歳の1年がすごくターニングポイントだなという位置づけが自分の中であるので、ことしが1番、気持ち的にはやってやろうっていう気持ちが強かったかもしれないです」 高校時代は熊本の古豪・済々黌高校(せいせいこう)のエースとして活躍し、2度、甲子園に出場。卒業後には名門・早稲田大学で1年生から先発を任されるなど、華々しい野球人生を送っていました。 (大竹)「(自分の野球人生は)順風満帆というか…。結果も出て、ベストナインとかも獲っていたので、【(自分にとって)野球って、やれば上手くいくな】っていうイメージでしたね」
■「やればうまくいく」から一転 育成からの挑戦
しかし、上級生になると状況は一変。ケガに悩まされ、結果が出ない日々が続きました。 (大竹)「リーグ戦の時もベンチに入らないことも多かったりして、結果が出ないことによる周りからの視線というか…。【上級生になって、あいつ変わったな】とか、そういう声が一番きつかったですね」 結果が残せなかったことで、ソフトバンクに育成選手として入団。オファーが来ていた社会人チームには進まず、茨の道へと進む決断を下しました。 (大竹)「絶対プロに入っても活躍できないっていうふうに、いろんな人から言われました。すごくリスクの高い選択ではあったんですけど、家族が【挑戦してみたら】と背中を押してくれたのが、1番の決め手でした」 2軍で猛アピールを続けると、プロ入りしたその年の7月、自らの力で支配下登録を勝ち取りました。その時の様子を、ご両親は…。 (母)「電話で、支配下になったって泣いてたんですよ。私たちの前で滅多に泣かないんですけど、本人はよほど嬉しかったんだろうなと思います」