「巨人・ガルベスvs中日・山崎武司」最悪の大乱闘…止めたのは42歳落合博満だった「中日のピッチャーに同情したんだよ、オレは」28年前の真相
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。 あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。連載第18回(前編・後編)、落合博満vs松井秀喜、約20歳差の“新4番争い”。とうとう4番を取り返した42歳落合。しかしその“4番復帰”初戦で大乱闘に巻き込まれる。【連載第18回の後編/前編へ】 【貴重写真】「壮絶な殴り合い…」ガルベスvs山崎武の大乱闘を止める42歳落合博満&レアな落合松井2ショット、20代のカッコいい落合まですべて見る(30枚超) ◆◆◆ 「並の打者ならチャンスには何でも食らいついてくるところがあって、それを逆手に取ることもできるんだけど、落合さんはまずボール球には手を出してくれない。要求は際どいコースでも、それが甘くなって打たれるか、見られてカウントを悪くして甘くなったところをイカれるか。打たれているのは、ほとんど内角甘めの直球なんですけどね」(週刊ベースボール1996年6月17日号) 中日ドラゴンズの正捕手・中村武志にとって、元同僚の落合博満は天敵だった。1994年の同率優勝決定戦“10.8決戦”では、先制アーチと勝ち越しタイムリーを打たれている。7年間、味方として背番号6の技術や勝負強さを間近で嫌というほど見てきた。投手陣に意識するなと言っても無理な話だった。
「ガルベスvs山崎武司」最悪の大乱闘
1996年5月1日のナゴヤ球場、5回表に中日先発の小島弘務が、この日から4番に復帰した落合の背中にぶつけてしまう。グラウンド上には不穏な空気が流れ、巨人ベンチの武上四郎打撃コーチは「狙っているのが見え見えだ」と死球に怒りの声を上げたが、この年から、闘将・星野仙一が監督復帰していた中日側も一歩も引かない。直後の5回裏、巨人の先発ガルベスが、先頭の山崎武司への初球で頭部付近に141キロのスピードボールを投げ込む。尻もちをつきながら間一髪でかわした山崎は立ち上がるなり、マウンドに詰め寄った。次の瞬間、自ら左手のグラブを外し臨戦態勢のガルベスと殴り合いに。両軍入り乱れての大乱闘となり、一塁から真っ先に駆け付けた落合は山崎を後ろから羽交い締めのように抱え込む。 「俺が中日に入った頃は、ベンチが指示を出したのに相手にぶつけなかったピッチャーがファームに落とされるケースもあったんだから。だから、5回表に俺が小島(弘務)から腰にぶつけられた時も、ベンチの方針に従わざるを得ないピッチャーもかわいそうだなと思ったから、怒らなかった。中日のピッチャーに同情したんだよ、俺は。あの時、俺が怒らなかったのを見て、『落合は中日相手だとおとなしい』というようなことを書く新聞があったけど、そうじゃないんだよ」(不敗人生 43歳からの挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館) この乱闘騒動で山崎とガルベスには退場処分が下されたが、長嶋監督は三塁側ロッカーに立てこもり、「暴力をしかけたのが山崎なのに、なぜガルベスも退場なんだ。あれが危険球ならば、落合への死球はどうなるんだ」と審判団へ21分間にも及ぶ猛抗議。32分間にわたりゲームは中断する。この際、落合は左腕を巨漢の山崎の首に巻きつけるように強引に止めに入ったため、左肩の筋を違えてしまったという。
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