ノーベル平和賞 坪井直さんに“見てほしかった” 核廃絶へ…オバマ氏との握手「謝罪は一切いりません」
日テレNEWS NNN
今月10日、ノルウェー・オスロで開かれるノーベル平和賞の授賞式に向け、日本被団協の代表団が8日、羽田空港から出発します。式でスピーチする田中煕巳代表委員は出発前、「先頭に立ってやった仲間がいないというのが残念」と話していました。その仲間の一人が、3年前に96歳で亡くなった坪井直(すなお)さん。「ネバーギブアップ」を口癖に、核廃絶運動の先頭に立ち続けた人物です。 【映像】被爆者・坪井直さんの生涯と後世へのメッセージ 核廃絶と平和を…
■「お前も人間じゃないか。俺も人間じゃ」
「男女とか年とかいうものも、みな私には(関係)ない」 「どんな人間に対しても『お前も人間じゃないか。俺も人間じゃ』と手が繋げるようにならんにゃいけん。そのためには、“あきらめる心”があってはいけない」 日本被団協の代表委員を長年務めた坪井直さんは、核兵器廃絶の世界のため、魂の叫びを続けてきました。
■20歳で被爆 道路に刻んだ「ここに死す」
教員をしていた坪井さんが本格的に被爆者運動を始めたのは、退職後、60代になってから。特に力を入れていたのが、被爆体験の証言活動です。 坪井さん 「忘れもしません。右の目玉がポロンと出てね、頬へぶらさがっとる(人がいた)。歩くたびにポロンポロンと目玉が動きよる」 坪井さんが被爆したのは、20歳の時。頭から背中にかけて大やけどを負い、仮の救護所がある御幸橋に、向かいました。身近に感じた死。拾った石ころで「坪井はここに死す」と道路に刻みました。 その後、広島湾に浮かぶ似島の野戦病院に運ばれ、意識を失っていた坪井さん。1か月以上、生死の境をさまよった末に一命をとりとめました。 「せっかく生きたんだから。皆さんの力で生きたんだから、お返ししたいいうのは、それはずっと続くよ」
■“被爆者は長生きできない” 結婚を反対され…
しかし、原爆の苦しみは続きました。被爆者ではない恋人・鈴子さんとの結婚を、周囲から猛反対されたのです。“被爆者は長生きできない”という、そんな偏見からでした。 二人は睡眠薬を飲み、心中を図りますが、ふと起きて目が覚めてしまいました。 坪井さん 「あれ、“俺、死んでない”と。あの世で一緒になろうと誓いあって(薬を)飲んだけど、あの世でも一緒にさせてくれないのかと」 出会いから7年半がたってから、ようやく二人は結婚。三人の子どもを授かり、坪井さんは校長までつとめ上げ教員生活を全うします。しかし、鈴子さんは1992年、脳出血のため59歳で急逝しました。 鈴子さんが亡くなってから4年、墓前で手を合わせた坪井さん。「家内がね、うんと支える力は大きかったろうと思う」と話し、さらに被爆者運動へ力を入れていくことになります。