【オール巨人×ガクテンソク】『THE SECOND』2代目王者が語る"一生賞レース"時代の本音
奥田 2012年から『ytv漫才新人賞』(読売テレビ)が始まったんですけど、その頃、『M-1』が一時なくなり、僕らの主戦場だった「baseよしもと」(大阪の若手がメインの劇場)が潰れ、相変わらずどの賞レースも予選で負けていて、解散するかみたいな空気になったんです。 でも、まだ漫才師として何も成し遂げていないのにやめられるかという話になり、直後、『ytv漫才新人賞』の予選であるROUND2に出場させてもらって。そこで1位通過を果たしたんです。 そのとき、審査委員長をされていた巨人師匠に「しゃべりうまいね」ってホメられたんです。「君たち、今までどこにおったん?」みたいな。 巨人 2007年の『M-1』決勝でサンドウィッチマンを見たときの衝撃に似てたな。「こんなおもろいやつらがおったんか」って。「なんで君らが出てこれんかったん?」って。ふたりとも声もええしな。センスのあるツッコミで笑いが取れるのも、時代に合っていると思った。 よじょう 2014年に『THE MANZAI』の決勝に出たときも、グループリーグで、9人いる審査員のうち巨人師匠だけ1票入れてくれたんですよ。 巨人 ほかの審査員には悪いけど、みんな見る目ないなと思ったで。 ■東京を意識したきっかけは巨人師匠 奥田 師匠、覚えてます? 2012年の『ytv』の予選収録が終わった後「来れるコ、みんなおいで」って天六(大阪・天神橋筋六丁目)の焼き鳥屋で打ち上げを開いてくれたんです。全員初めましてみたいな感じやったんで、まあまあ静かで。僕らも、「俺らなんかが行ってええんかな?」と思いましたから。 巨人 がっつり負けたやつも来とったもんな。おまえら、よう来れるなみたいな(笑)。 奥田 その席で師匠が「東京に挑戦したいという気持ちがあるんなら、したほうがええ」という話をされたんです。僕ら、まだそんなこと全然考えてなかったんですけど、2023年から東京に拠点を移して。今にして思うと、あのとき初めて東京を意識したような気がします。 巨人 僕は東京が好きやなかったから無理やった。だから後悔はないんやけど、若い人はいっぺん東京で勝負したらええんちゃうかとは思うね。テレビのギャラも1桁違ったりするし。東京はどうや? 奥田 こういう世界もあるんや、ということがわかったんは大きいですね。大阪が土俵だとすると、東京は四角いリングなんやな、と。ポストに上がって飛んでもよし、というか。そもそも競技が違う。 巨人 異種格闘技みたいなな。