「被災者の声なき声」課題残る“震災障害者”も支えた「相談室」 記録を後世へ【震災30年つなぐ未来へ】
当時の記憶をいまに伝えるのが、貴重な震災資料。 1人1人の被災者に寄り添い、困りごとを解消してきたボランティア団体「よろず相談室」が、先月、積み上げてきた聞き取り記録などの資料を、「人と防災未来センター」に寄贈した。 被災者の声なき声に耳を傾け続けてきた30年とは。
■資料で伝える震災 被災者の困りごとを聞き取ってきた記録が展示された
「外へ出たとたんに、地震。 ヘルメットにコンクリートが落ちてきた」 「焼け跡より、身内の骨と一緒に見つけたお金です」 「運んだ時には死後硬直していた。 斎場がなく、4日目に京都で火葬した」 「人と防災未来センター」。 阪神・淡路大震災の教訓を後世に残す施設には、 被災者から寄せられた、当時の状況を表すモノや、復興に使われた資料が展示されている。 その一角に並ぶのは、12月から新たに並べられた資料、「よろず相談室」。 ボランティアが被災者の困りごとを聞き取ってきた記録だ。
■「よろず相談室」元代表・牧秀一さんのあゆみ 資料が表すこととは
寄贈したのは、相談室の元代表、牧秀一さん(74)。 牧秀一さん:なんかちょこっと苦しいねんけど。これが25年間、ずっとあった」。 震災当時は、高校の教師だった。 住んでいた神戸市東灘区では、激しい揺れが襲い、多くの人が犠牲となった。 自宅は倒壊を免れ、何かできることはないかと様子を見に行った避難所で、被災者の悩みを聞くボランティアを始めたのだ。 牧秀一さん:被災して困っている人の話聞けるかなって。決して明るい話じゃないやん。どうなんかなと思ってやってたけれど、結構よろこんでくれて。 活動は次第に広がり、被災者の相談に乗って支援につなげるNPO法人「よろず相談室」を、仲間とともに立ち上げた。 被災者:暗くせんと明るくしようかというのがあった。実際、避難所を出ると自分が暗くなってしまった。 被災者:明るくはしてるんですよ。するとストレスが今度は、私に来るんです。ばーっと怒鳴り散らすんです。 牧秀一さん:毎日、孤独死とか自殺、病死がある。それがずっと続くんだろうと気になって、なんとかできないかなと。 暮らす場所が仮設住宅や復興住宅に移っても、寄り添い続ける牧さんたちの存在は、被災者にとって生きる希望だった。 避難所にいたときから支援を受ける被災者:なんか知らんけど自然になんでも話できる。こんなに訪ねてきてくれるのは牧先生だけ。他の人は訪ねてきてくれるけど、尻切れトンボ。先生がこうやって来てくれるから、元気でおらなあかんなって。先生の顔見るまで頑張らないとって。 牧秀一さん:復興住宅の訪問記録。『御影にいましたよ』、『そこから復興住宅に来ました』と、訪問活動の記録が書いてあったり」。 (Q.どういう会話したとか?) 牧秀一さん:今の状況とかね。血圧が高い時は230と書いてある。 よろず相談室が残した記録は、異なる被災経験をした1人1人が苦しみの中で、必死に生きてきた証だ。 記録のノートの中には「なぜあの時、赤ちゃんを1番に助けれなかったのか、あと2秒あったら、と思う」という言葉や「どこに言えばいいかわからない」といった悩み。 そして「サッパリとしたジャケットで、とても嬉しかった」という喜びも。 被災者の生の声が残されている。 牧秀一さん:紙ベースの人の手で書いた記録が、人と人との関係を書いている。それがとても大事なことかなと思ってるねん。