「ここで死にましょうか」最果ての地で、妻は夫に言った。
十勝平野は冷害で、にしんがとれなくなった北海道は不景気だった。身を切るような寒風と降りしきる雪、怖いほど暗黒の夜の海。千島は当時のソ連領となり、海の向こうは外国だという心細さもあっただろうか。 いくら文学という支えがあり、「このままでは終わらない。今に、今に」という強い気持ちがあったとしても、それが常に続くものではない。津村は吉村に内緒で着物や帯、腕時計を質屋に入れていた。宿泊代や交通費、チラシの印刷代などで、商いをすればするほど行き詰まっていった。 夫婦2人の明日の生活も目処が立たないところに、新しい生命は宿った。 明るい未来や希望を見出そうにも、どこにもない。「さい果て」という地に立ったことも、将来を悲観する要因になったのではないか。 〈福井の女性は、堪えに堪える。そしてある時、雪の重みで地に届くかと思うほどしなった柳が、突然雪をはね返すような強さを見せることがある。〉(津村『人生のぬくもり』河出書房新社) 「死にましょうか」というひと言は、耐えに耐えた末のひと言だったのかもしれない。
谷口桂子