「ここで死にましょうか」最果ての地で、妻は夫に言った。
一方の津村は吉村が発表した小説『死体』を読んで、 〈……いきなり脳天を強打されたような気がした。〉(『ふたり旅』岩波書店) 学生が書いたとは思えない、才能を感じたのだ。津村との結婚のために吉村は兄が経営する紡績会社に就職したが、結婚の1週間前に突然勤めを辞めてしまう。 サラリーマンと結婚すると思っていた津村は言葉を失った。夫は定収入という安定をあっさり捨ててしまったのだ。兄の庇護を受けるのは嫌だと吉村は言ったが、小説を書く時間がほしかったのではないかと津村は思った。 収入が途絶えたので、吉村は自分で事業を始めた。紡績の知識はあったので原毛を買いつけ、撚糸工場に発注して業者に売るというものだ。吉村に小説以外の事業の才覚があったのは意外な印象を受ける。 ● 夫婦で挑んだ商売の道 吉村昭と津村節子の試練と絆 新婚のアパートに「東京紡績株式会社」の看板を掲げ、吉村が社長、津村はいきなり無給の経理係兼電話番になった。 津村が当時のことを記している。 〈結婚してまだ3月目で、私は夫の言い分に反対をのべることはできなかった。勤めを辞めて夫がこれから自分1人で始めるという仕事は、世間知らずの私にもひどく危なげに思えた。それなのに夫の言葉に賛意を示したのは、理解ある妻と思われたいという見栄からであった。〉(『みだれ籠』文春文庫)
最初のうちは順調だった。ところが戦後最大の不況と言われた年で、企業の倒産が相次ぎ、取引先の山形のメリヤス工場の手形は次々と不渡りになった。食べるにも事欠くようになり、2人のキューピッド役となった吉村の弟の隆が、パチンコの景品でとった牛肉の缶詰や鮭缶を差し入れている。 思ったらすぐ行動に出るのは若い頃からだったのか、津村は吉村に代わって山形のメリヤス工場に手形を落とす交渉にも行った。 「これ、どうしてくれるの?」 と業者に手形を示すと、 「うちも事情が事情だから、払うものも払えない」 と言われた。結局現物支給となって、毛糸のセーターや腹巻、茶羽織が送られてきて、新婚のアパート1間がいっぱいになった。 それをなんとか現金化しなければ、明日から食べていけない。友人の父親が茨城県日立市にある会社の重役で、購買部に置いてもらえないかと、津村は日立まで行って商品を見せている。しかし寒地の農村や漁村用に作られた厚手の衣類なので関東圏では売れなかった。東北、北海道に行くしかないと吉村が言い出し、一足先に1人で行商の旅に出た。