「ここで死にましょうか」最果ての地で、妻は夫に言った。
人を頼むよりはいいから、私も一緒に行くと津村が言って2人旅になる。 〈学習院の友達が聞いたら正気の沙汰ではない、と言うだろう。大道商人と五十歩百歩である。〉(津村『三陸の海』講談社文庫) ● 北の果てへ流れる旅 新婚夫婦の商売奮闘記 見知らぬ町で、もちろん2人とも商売など初めてだった。 青森県の八戸では東北物産展が開かれていて、山形の純毛セーターは飛ぶように売れた。 これで東京に帰れると津村は思ったが、最終日に吉村は売り上げを入れていた財布をすられてしまう。全財産を失い、東京に帰る旅費のためにも再び商いをするしかなく、商品を取り寄せて2人は北海道に渡った。 当の吉村は行商の旅を楽しんでいるようだった。 小説を書くための取材旅行だとでも思っていたようで、2、3日して慣れてくると津村に店番をさせて出かけてしまう。初めて訪れた北国の町をぶらぶら歩き、映画を見たりしていた。商売に失敗して、現物を抱えてさすらっているという悲壮感はなかった。「新婚の夫はほっつき歩いている」という司の話は、そのことをさす。
一方の津村は、青森の駅に降り立ったとき、駅名標の片方に次の駅名がないのに目が止まった。終着駅だからだ。根室に着いたときも同様だった。青森は本州の果て、根室は日本の果てだと思った。 次第に東京から離れ、厳しい冬へと向かう北へ北へと流浪する。観光旅行ではなく行商で渡る北海道は、内地で食いつめた者が流れていく感が強かった。 〈船底の3等船室は、行商の人たちの背負う大きな荷物と、魚の匂いでいっぱいだった。そそけた畳の上で夫の躰にもたれながら、出帆のどらの音を聞いた。冬を迎えて北海道へ渡る心細さが胸にこたえて、物も言えなかった。〉(『みだれ籠』文春文庫) ● 希望を見出せない苦難のなかで お腹には新しい生命が宿る 根室に着いたのは夜で、駅前はさびれていた。すぐに空き店舗を探し、1日1000円で借りて、1週間分を前払いした。新聞に折り込むチラシの印刷を頼み、紙と絵の具を買ってポスターを描き、人が集まる銭湯にも貼りに行った。泊まるのは布団が汚れた木賃宿で、宿の風呂場で洗濯しても、洗濯物はなかなか乾かない。荷物はリヤカーに積んで、吉村が引き、津村が後ろを押した。