吉田修一の新刊、江戸川乱歩賞受賞作…秋の夜長に読みたい本格ミステリーは、コクの深い「男と女の物語」を
時代や社会にこびりついたものに、男女ともいやおうなく影響を受ける。世の非常時には男は救国に走り、女は唯一差し出せるものを用いて、身近な者の命を救おうとする。ジェンダーは哀しい、男も女も。しかしそれらが、歴史のヒダになってきたのも事実。そのヒダには、愛や真心や寛容や慈悲が宿る。今回はある種の密室ミステリーながら、密室という本格パズルへの興味よりも、男と女の物語としてコク深い2冊を。 【写真】吉田修一の新刊『罪名、一万年愛す』の書影 選・文=温水ゆかり 写真=shutterstock ■ 物語の名手が映し出す、貧困と飢餓の中のひとひらのぬくもり 【概要】 横浜で探偵業を営む遠刈田蘭平のもとに、一風変わった依頼が舞い込んだ。九州を中心にデパートで財をなした有名一族の三代目・豊大から、ある宝石を探してほしいという。宝石の名は「一万年愛す」。ボナパルト王女も身に着けた25カラット以上のルビーで、時価35億円ともいわれる。蘭平は長崎の九十九島の一つでおこなわれる、創業者・梅田壮吾の米寿の祝いに訪れることになった。豊大の両親などの梅田家一族と、元警部の坂巻といった面々と梅田翁を祝うため、豪邸で一夜を過ごすことになった蘭平。だがその夜、梅田翁は失踪してしまう……。 吉田修一さんは、綿密な取材を重ねた大作や、現代の諸相を映すような慟哭作の間に、自らも楽しみながら書く遊戯的なエンタメをものする。10月の新刊『罪名、一万年愛す』もそんな遊び心に富んだ1冊。舞台は、長崎の風光明媚な島だ。 長崎県佐世保市に属し、東シナ海に浮かぶ九十九島群島。群島のほとんどは、無人島や海面に突き出た岩礁なのだが、富裕層の中にはプライベートアイランドとして所有する者もいるらしい。 米寿を迎えようとしている梅田壮吾(そうご)もそんな富裕層の一人である。戦前生まれの壮吾は佐賀市内の呉服問屋の下働きから身を起こし、戦後、高度成長の波に乗って九州各地にスーパーマーケットを展開。福岡の一等地である天神に梅田丸百貨店を開業して支店を増やしていった辣腕の経営者。 引退後、50年近く前に購入し、愛猫のノラから取って野良島と名付けた島で、優雅な余生を楽しんでいた。88歳ながら壮吾は現役時代の活力を彷彿させるほど壮健である お話は、その梅田翁の奇行を案じた孫の梅田豊大(とよひろ)が、横浜の野毛地区で私立探偵事務所を営む遠刈田蘭平(とおがった・らんぺい)を訪ねたシーンから始まる。豊大の話はこうだ。 住み込みの家政婦さんによれば、壮吾が夜な夜な「一万年愛す」という宝石を探し回っている。しかし聞かれた家族の誰もそんな宝石に心当たりはない。いよいよ認知症か。疑った家族が医師同伴で野良島を訪れると、老人扱いされたことに憤った壮吾に、その日のうちに追い返されたという。 梅田家には、18歳を迎える者に、サザビーズやクリスティーズで欲しいものを落札して贈るという習慣があった。顧問弁護士が言うに、もしそんな宝石があるとすれば、自分が梅田家を担当する前にオークションで落札したものではないか、と。 豊大は有名なオークション会社の過去のデータに当たってみる。するとあったのだ、「一万年愛す」という名の、血のように濃い赤のルビーのペンダントが。アンナ・ボナパルト王女のコレクションだったそれは、1940年代のスイスで、現在の価値に換算して35、36億円の値で匿名者に落札されていた。 遠刈田は豊大に対して首をひねる。あるのかないのか分からないそんなものを、私に探せとでも? 豊大は言う、近々祖父の米寿を祝うパーティが野良島で開かれる。「一万年愛す」の謎に少しでも近づくため、野良島に同行してほしい、と。