江原啓之「親友が亡くなった。嘆き続ける、新しい友を求める、どちらが幸せ?不幸の三原則は〈自己憐憫〉〈責任転嫁〉〈依存心〉」
◆喪失感の正体 私はいつも不幸になる三原則があると申し上げています。それは、「自己憐憫」「責任転嫁」「依存心」です。そもそも喪失感の正体はなんなのでしょうか? 友人を見送ったあとに残された私。なんでも話せる相手がいなくなってしまった私。これから私は誰に話せばいいの。感傷的になっても慰めてくれる友人はもういない……。そんな「かわいそうな自分劇場」が開幕しているのではないでしょうか。友人の死を悼むという本筋とは異なる心理が働いているように思います。それこそ、自己憐憫であり、依存心にほかなりません。 喪失感から脱却できないときは、自問自答してみましょう。友人への依存心があったからこそ、頼る人がいなくなった喪失感が生まれたのでは? と。その小我な自分に思い至ったとき初めて、「あなたがいなくなって私はこれから誰に話せばいいの?」ではなく、「これまで私の話を聞いてくれてありがとう」という感謝が溢れてくるに違いありません。 そもそも「なんでも話せた友人」というのは、あなたから見た評価です。相手は「いつも自分の話や愚痴ばっかり聞かされて、まいっちゃうわ」と思っていた可能性だってあります。人間関係は腹六分くらいがちょうどいいのです。 もしあの世へ旅立った友人が、あなたを無二の親友と思っていたとしても、喪失感でいっぱいのあなたを見たら、こう言うでしょう。「いつまでも私に依存しちゃダメよ。もう私にはどうしてあげることもできないんだから、しっかりして!」と。あの世に行った友人にまで心配をかけるなんて……。それがいかに不幸を招く行動かがわかっていただけると思います。
◆自律した関係が理想 人生を終えるタイミングは人それぞれ。当たり前ですが、その人に与えられた寿命によって異なります。どんなに親しくても、どちらかが残り、どちらかが見送るのは避けられません。だからこそ、この世で生きている間に、悔いなく過ごせるよう努力するのです。 友人関係についても、同じ。いくら仲がよくても、依存しすぎてはいけません。互いに自律した関係が理想です。もちろん、考えを整理するために友人に話を聞いてほしいときがあるのもわかります。それに、たまには人に愚痴を聞いてもらってスッキリしたいこともあるでしょう。 そういうときはなんでも話すのではなく、「考えを整理したいから話を聞いてほしい」「ちょっとだけ愚痴らせてほしい」などと要点を絞ること。そのうえで「5分だけ話をさせて」など時間を区切って友人に聞いてもらいましょう。いくら相手が聞き上手でも、調子に乗ってダラダラと話すのはNGです。悩みや愚痴の垂れ流しは禁物だと肝に銘じること。親しき仲にも礼儀ありです。聞いてもらったら「ありがとう」と、お礼を言うのも忘れないようにしましょう。それらの心構えができたら、見送った友人を偲びつつ、Aのように新しい友人を求めて交友関係を広げてみてください。 友人との語らいで視野を広げながら、あなたがこの世でたくさんの思い出をつくることをあの世の友人も応援していることでしょう。 (構成=やしまみき)
江原啓之