落合博満が“野村克也のボヤき”に本音「あれは70代のお爺ちゃんだから面白いんだ」…社会人野球に救われた名将ふたりの“まったく異なる監督像”
「プロから来た人間が勝ってしまっていいものか」
野村は勝算を抱いて社会人初シーズンに臨むが、トーナメントの一発勝負を制するのは容易くない。3月の東京スポニチ大会は2回戦、4月の静岡大会は準決勝で敗れる。それでも、5月のベーブルース杯大会では優勝し、都市対抗東京2次予選で東京ドームへの切符を第1代表でつかむ。 「社会人を甘く見ていたわけではないが、私が想像していたより数段レベルは高い。しかも、生活をかけたプロは個人主義だが、社会人は活躍しても給与が上がることはなく、実力があってもベテランから引退する。そこから生まれる『チームで勝つ』という純粋さは、何を起こすかわからない。こちらも勉強しなければならないことがあるな」 そう言って、野村は社会人野球に“ハマった”。そして、都市対抗本大会でも快進撃で決勝に進む。三菱ふそう川崎との対戦も6回まで3-0とリードしていたが、7回表に一挙5失点で初優勝は逃した。野村は試合後、選手たちを前に「プロから来た人間が勝ってしまっていいものかと迷いがあった。それが敗因だ」と頭を下げた。 坂田は「あの言葉は、野村さんの本心だったと思う」と振り返り、こう続ける。 「初めてのミーティングは『人とは』という話で始まり、次に『組織とは』。いつ野球の話になるんだと思いましたが、社会人での野村さんは、技術屋ではなく教育者でした。どうすれば上手くなるか、勝てるか以前に、根拠のある思考や行動によって、いかに人間力を磨くかを重視した。決勝はスクイズで逆転されたんですけど、その場面でも私を信頼して何も指示を出さなかった。1年経つ頃には、たとえ同じ場面で出すサインが変わらなくても、野村さんに出会う前とは、その意味はまったく違うものになっていると思いました」 だからこそ、'05年秋に野村が東北楽天から監督就任を要請されると、坂田ら選手たちは「シダックスの存続が危うくなっても、プロの世界に戻ってほしいと思いました」という。東北楽天での野村の采配には、データに人間味が加味されていた。一方、野村の実績により、プロ経験者といえども、生半な気持ちで社会人球界に来ることはできなくなったという印象がある。
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