「自分だけ帰ってきてごめんなさい」曽我ひとみさん ともに拉致…母・ミヨシさん93歳の誕生日 22年前の帰国時“悲しい表情”の理由
曽我ひとみさんと一緒に拉致され、いまだに帰国が果たせない母・ミヨシさんが28日、93歳の誕生日を迎えた。2002年、帰国した拉致被害者5人の中で、ただ一人“浮かない”表情を浮かべていたひとみさん。あれから22年、話してくれた理由には、ともに北朝鮮で過ごした横田めぐみさん、そして母への思いがあったという。(日本テレビ解説委員・加納美也子) 【北朝鮮での日々を語る】横田めぐみさんと残ったアイスを「じゃあ食べる?」 拉致から46年…支え合った曽我ひとみさん
■24年ぶりの帰国 ひとりだけ「悲しそうな顔」
2002年10月15日。日本中がテレビ画面に釘付けになった。 映っていたのは、羽田空港に降り立った拉致被害者5人の姿。北朝鮮に拉致された5人が24年ぶりに帰国する様子を、テレビ各局は特番を組んで生放送で伝えた。記者1年目だった私は、岩手県の放送局でその様子を見ていた。 日朝首脳会談で北朝鮮が日本人拉致を認めてから約1か月後。北朝鮮に閉じ込められてきた日本人5人が、24年ぶりの帰国を果たした歴史的な瞬間だった。飛行機のタラップを降りる拉致被害者たち。蓮池夫妻・地村夫妻が家族と泣きながら抱き合って喜びを爆発させる姿に、日本中が涙した。 しかし、ただ1人、曽我ひとみさんだけは浮かない表情をしていた。ひとみさんは帰国できたのに、なぜ悲しそうな顔をしているのだろう。23歳の私は、とても気になった。 それから8年後、私は日本テレビ報道局社会部で働くことになった。 与えられた担当は“北朝鮮による拉致問題”。担当になって1年後、新潟県佐渡市に取材に行くことになった。イベント会場で母の救出を訴え署名活動を行うひとみさんを取材し、初めてご挨拶した。ひとみさんは夫や娘たちとの生活を大切にするため、取材は講演会や署名活動など一部に限っていた。都内や新潟でひとみさんの講演活動などがある時は、なるべく足を運んで彼女の言葉を聞いた。 自身も北朝鮮に拉致された『被害者』であり、母が北朝鮮に捕らわれたままになっている拉致被害者の『家族』なのは、ひとみさんただ1人。どうしても直接話を聞いてみたい。拉致問題を取材して16年、ようやくその機会を得た。