ホンダ・日産が経営統合に向け協議へ 背景に鴻海(ホンハイ)の存在 「100年に一度の変革期」で日本車の未来は?【風をよむ・サンデーモーニング】
ホンダと日産自動車、日本を代表する自動車メーカー2社はなぜ経営統合の道を模索することになったのか。背景には「100年に1度」といわれる大変革期を迎える自動車業界の現状があります。 【写真を見る】車が身近な存在となったのは昭和30年代の様子は? ■ホンダ社長「あらゆる可能性について話をしている」 18日(水)の朝、ランニングウェアで現れたのは、ホンダの三部敏宏社長。 ホンダ 三部敏宏 社長 「寒いから走ってくるね。なんかニュースでもあるんでしょうか」 この直前、ホンダと日産自動車が経営統合に向け、協議に入ることが明らかになったのです。 将来的には三菱自動車も加わることを視野に交渉を進めるとされ、実現すれば3社合わせて販売台数800万台を超える、世界第3位の自動車グループが誕生します。 ホンダ 三部敏宏 社長 「日産だけではなくて、三菱も協業含めていろんな話をしていて、あらゆる可能性について話をしている」 本田宗一郎氏が創業し、二輪車の「スーパーカブ」、乗用車「シビック」などで知られ、F1にも参戦した世界のホンダ。 片や「ダットサン」に始まり、大衆車「サニー」を生み出した技術の日産。 そうした日本を代表する自動車メーカーが、なぜ今、統合なのか。 そこには「100年に1度」といわれる大変革期を迎える自動車業界の現状があります。 ■「ソフトウェアの開発力が強いところが自動車産業でも勝つ」 私たちの暮らしに車が身近な存在となったのは昭和30年代。 「マイカー」という夢が現実のものとなり、人々がこぞっておしかけたのは、運転免許試験場でした。 また、農家の人々が“外車”に農具を詰め込み、そのまま畑へ。 車が生活の一部になりつつある様子がうかがえます。 東京モーターショーの会場は多くの人で埋め尽くされ、次世代のクルマに大人も子どもも熱狂しました。 そうした中、「スカイライン」に「フェアレディZ」。 時代を象徴する名車を次々と世に送り出したのが日産です。 バブル期には、中高年を中心に高級車「シーマ」が爆発的にヒット。