<自動車>機能が形を生む「和デザイン」 階級社会の欧州とは真逆の手法
理念をどうやって形にして製品化するか
こういう観念論は分かるような分からないようなもので、「凛と艶」が正解かどうかも筆者には分からない。おそらく無数の正解が存在するだろうし、何が正しいのかを判定する意味はない。モデリングの現場が筋の通った「和」の解釈を示したというだけで、十分価値があるだろう。 しかし、この取材で筆者が本当に驚かされたのはその先だ。自動車のデザインで本当に難しいのは、造形そのものではない。もちろんそれとて簡単なものではないが、それを生産技術やコストと擦り合わせて、製品として作れるものにしなくてはならない。
一例を挙げれば、服飾のファッションショーで、ほぼ全裸に近いショー専用のデザインがある。デザインが機能も含めた全ての制約から自由になるという理念は理解できるが、それは製品と完全に乖離した世界である。デザイン先行でモノが作られる一例だと言えるだろう。 クルマの世界でもそういうショーモデルは多数あった。それは顧客に嘘を付いているに等しい。実現する技術がないとか、法的にできない絵空事デザインを見せられても困るのである。デザインの先には多少遠くても必ず製品がなくてはいけない。つまり、理念をどうやってユーザーが買えるところまで形にして製品化するかがインダストリアル・デザインの本質なのだ。だからこそ機能が形を産む「和」のデザインはクルマとのマッチングがいい。
モニター上で行われる昨今の自動車デザイン
昨今の自動車デザインは、CAD(Computer Aided Design)の時代だ。造形はモニター上で行なわれる。先端領域では、必要ならCADデータからクレイモデルが自動で削り出され、モニター上では様々な塗色や外光条件の元での見栄えが検討される。甚だしきはこのデータでカタログやCMまで作られる。実車を撮影したりしないで、デザインデータでカタログやCMが出来上がるのである。 経営的に見れば、ローコストで様々なシミュレーションができ、なおかつ副次利用まで可能でコストの低減効率が極めて高い。「合理化万歳」の世界にどんどん進みつつあるのだ。デザインを現実化する方法として非常にリーズナブルだ。 実は、この背景には厳しくなりつつある労務管理の問題がある。「残業が多いのはけしからん。ブラック企業だ」。そう指弾されないためには、残業時間をなんとしても減らさなくてはならない。もちろん労働者の権利は重要だ。流石の筆者も「いいものを作るために死ぬ気で残業しろ」という気はない。モノづくりとしてそれでいいんだろうかと疑問を持ちながらも、ソリューションがないのだ。だからCADが正義になる。