『グリフィスの傷』著者、千早 茜さんインタビュー。「傷痕は私にとってポジティブなもの」
「傷痕は私にとってポジティブなもの」
昨年直木賞を受賞した千早茜さんの新作は「傷」にまつわる短編集。 「2013年に『あとかた』という作品で、遺そうとするけど遺らない想いや関係性について書きました。その中に、背中に深い傷を負った少女が出てくるんですけど、痛みが消えても彼女の傷は遺っていて。その傷がどうなっていくのか、今度は遺ってしまうものについて書きたいと思いました」 学校でクラス中から無視される日々のなか、自身が足を深く切ったことをきっかけに変化が生まれる「竜舌蘭(りゅうぜつらん)」、バイト先の工場で自分が指を切断した時のことを回想する「指の記憶」、家族に傷を負わせてしまい、愛情と責任感の裏返しでできてしまった距離感を描く「慈雨」、きれいがゆえに不快な思いをしてきた女性が自分を守るためにまぶたを一重に美容形成する「あおたん」など、様々な傷痕をもつ人々が登場する。
“傷”というと、痛くて思い出したくないネガティブなイメージを抱くが、相手を思いやる優しい傷や、自分を肯定するためにつける前向きな傷もあるのだと気付かされる。 もともと傷が好きだという千早さん。普段から切り傷や火傷など、自身の負った傷を毎日写真に撮り、その経過を観察しているのだそう。 「だいたいの傷はいったん悪化したように見えるんですよ。そういう時期を経て修復されていく。傷を負ったことは嫌な記憶として遺るかもしれませんが、負った瞬間から体は傷口を塞ごうとして、自分の感情とは関係なく前向きに進んでいて。だから傷痕は私にとってポジティブなもので、傷痕のある人を見ると、がんばったね、よく生きてきたね、って感動するんです」
生きるなかにたくさんの痛みがある。
久しぶりの短編ではいろいろな冒険ができたと話す。そのひとつが、本作は10編すべてにおいて、主人公に名前がないということだ。 「もしかしたらこれは自分の傷だったかもしれないと思って読んでもらえるように、あえて名前は入れないで書こうと決めていました」 読みながら、自分と重ねて過去の傷の記憶を探してしまう、誰もが思い当たりうる物語になっている。 表題作の「グリフィスの傷」はSNSによる誹謗中傷の加害者と被害者の2人の新たな交流が描かれる。 「“グリフィスの傷”は、ガラス工学の世界では有名な言葉で。ガラスの強度は高いのですが、実は見えない傷が無数に入っていて、ちょっとした力で儚く割れてしまう。その傷のことを言うんです」 目に見えないと加害者に都合よく“ないもの”と見なされてしまう精神的な苦しみや、傷口がなめらかさを取り戻してもなお癒えない心の傷。確かにそこにある痛みを静かに照らすような言葉だ。その痛みは登場人物だけでなく、誰もが抱えているものなのかもしれない。 「生きるうえでは無傷ではいられないし、たくさんの痛みがある。同じ傷はないし、同じ痛みはないですが、その予行練習として読んでもらえたらいいなと思います」