伝法院の門に残る<ロック>の文字は反体制でもあの方の実家という意味でもなく…<旧町名>でたどる台東区の歴史
◆谷中上三崎南町、谷中天王寺町 <谷中上三崎南町> 令和3年、衝撃のニュースが飛びこみます。 「みかどパンが閉店!」 巨大なヒマラヤ杉下にある木造平屋と旧町名の琺瑯看板、谷中に行く理由のひとつであるお店の歴史に幕が降りるというのです。 大学時代、根津神社付近に住んでいたため、上野公園までの早朝散歩の通り道にあったあのお店は、当たり前の日常としていつまでもありつづけるものだと思っていました。 閉店日は令和3年10月10日。最後を見届けようと10月9日に現地を訪れました。 閉店前日とはいえ営業はすでに終えており、お店の方が店内の片付けをしていました。建物がなくなるかはまだわからないとの言葉を聞き、その日はいったん帰路に。 そして翌日、閉店日の10月10日、改めて現地を訪れて愕然としました。昨日はあった旧町名の琺瑯看板がなくなっているのです。 さらに閉店のお知らせが。店主の高齢のため閉店。 これでようやく私も気持ちの整理がつきました。この地で長年の営業、本当にお疲れさまでした。 <谷中天王寺町> 江戸幕府に日蓮宗から天台宗へ改宗させられたり感応寺から天王寺へ名前を変えさせられたり、明治政府に敷地を没収されて谷中霊園にされたり、上野戦争と関東大震災と空襲の被害を逃れた五重塔が放火心中で焼失したり、住居表示の実施で町名が消滅したりして落ち込むこともあるけれど、私、この街が好きです。
◆松葉町、谷中初音町 <松葉町> 夏休みでもないのに毎朝6時30分に町内にこだまするラジオ体操第一と公園に集いし白服の集団。 ここはラジオ体操の聖地・松葉公園。戦争の影響で昭和22年から中断していたラジオ体操の中継放送が昭和27年6月28日に再開された場所なのです。 昭和27年は日本の主権回復の年。新しい朝・希望の朝は松葉公園から。 <谷中初音町> 台東区谷中は文京区と荒川区に接する立地を活かし、区を超えた活動を展開しています。 文京区とは谷根千(やねせん)を、荒川区とは谷中銀座商店街をそれぞれシェアするなど地域発展のため、ともに協力する良好な関係を築いている……はずですが、一方で台東区単独の地図などを見ていただくとわかるとおり、谷中の北端が不穏なのです。 明らかに文京区と荒川区を刺しに行っています。 この町域がどうかしている部分が旧谷中初音(やなかはつね)町4丁目です。区を超えた活動すぎる。 1~3丁目の2年後に誕生した谷中初音町4丁目。誕生が遅れた負い目による凶行だったのか。 良好な関係なはずの両区に突きつけた彼のバターナイフ形状の先にはなにがあったのか。その答えは現地にありました。 台東区の最北端、文京区と荒川区との区境から100メートル先に田端があったのです。 もしかしたら初音町4丁目は、文京区と荒川区と同じようにただ北区と仲良くなりたかっただけ、その方法が少し鋭利だっただけなのかもしれません。