地域特有の文化資源の発見と再生 岐阜の限界集落で取り組む夫妻に見るビジネスの新しい視点
知多の藍染めは昭和時代には途切れていた。「まずは知多のおばあさんやおじいさんに話を聞きにいこうと考えた。直接藍染めをしていた方には巡り合えなかったけれど、藍染めでもどんな柄が流行っていたかを調べているおじいさんがいた。銭湯の盗難品の台帳から調査していてその方法もユニークで印象的だった。横縞が多い時期、千鳥格子が多い時期と分析していた。今そのおじいさんと柄の研究を始めていて再現しようと取り組んでいる」。
今後の展望を尋ねた。「『知多藍』を根付かせたい。私自身、プレイヤーでい続けたいから工房を拡張する気はない。のれん分けという形で『知多藍』を伝える方を増やしたいと考えている。これまで4人がこの工房を卒業して新たに工房を構えた。藍は一度栽培をやめると種が取れない。やむを得ない状況になったときでも仲間がいれば種を分け合うことができる」。現在の仕事はアパレルメーカーからの依頼が約8割を占めるというが、「大量に依頼されたときは皆と助け合って染めている」という。
「知多藍」の種は石徹白から譲りうけたものだという。平野夫妻の撒いた種が吹生き始めている。