「プロ野球90年」作家・重松清さんが語る野球への深い愛「ヒーローは江夏豊。名前が格好いいじゃん」
日本のプロ野球は1934年に巨人の前身「大日本東京野球俱楽部」が発足したのが起源とされる。今年で90年を迎えたプロ野球への思いを各界の著名人に聞くインタビューシリーズ。広島の初優勝を描いた「赤ヘル1975」など野球にまつわる作品を多く手がけてきた作家の重松清さんが、深い野球愛を語った。(聞き手 共同通信・石川悠吾、児矢野雄介) 「世界の王」から新記録の三振を取るため「もう1周回そう」・江夏豊さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(25)
▽共通言語 小学校3年生までは名古屋にいた。特に幼稚園から小学校1年生まで住んでいた場所は中日球場(現ナゴヤ球場)からすぐ近くで、アナウンスも聞こえたりしたんだよね。あのころは、小学生はみんな野球帽をかぶっていた。スポーツというよりも、共通言語というか、白いご飯みたいなね。だから「野球との出会い」と言われても、普通に当たり前のようにそこにあったよなあと。 原風景にアニメ「巨人の星」と王貞治、長嶋茂雄の全盛期がある世代。ジャイアンツのスタメン、1番柴田勲、2番土井正三、3番王、4番長嶋…というのが当たり前の知識としてあった時代。長嶋引退が小学6年生の時。テレビで見るために学校から走って帰った。最後の遊ゴロなんかも覚えているもんね。 ▽広島初優勝 1975年に、僕は山口県で中学1年生になって野球部に入った。その年に隣県で広島カープが初優勝。そのタイミングが大きくて、やはりカープは僕にとって特別なチームかな。紺色の帽子だったのが、あの年に赤ヘルに変わって勝ちだして、僕自身が中学生になったのとも重なってね。今でも一番好きな球場は旧広島市民球場。自転車置き場があって、みんな近所から来るんだよ。すごいよね。
広島の原爆からの復興と野球の関係は、全国的には75年に初めて発見されたんじゃないか。なにしろ、市民球場と原爆ドームがこれだけ近いんだと、広島以外のファンはなかなか知らなかったんじゃないかと思うんだよね。75年の優勝によって、広島の歴史と、広島カープってこんなことをやっていたんだというのを発見した。74年の長嶋引退と入れ替わるようにしてね。これはやっぱり象徴的だよね。 ▽一匹おおかみの魅力 ヒーローは江夏豊だった。名前が格好いいじゃん。オールスターの9連続三振も生中継で見ていた。銭湯のげた箱のロッカー番号は絶対に(広島時代の背番号の)26だった。26が空いていなかったら、第2志望で(阪神時代の)28。一匹おおかみであり、優勝請負人というのがすごくかっこよかった。独特の魅力があるんだよね。 一度対談をして、本当にうれしかった。僕の小説「とんび」が好きだと言ってくれた。お父さんがいなかったという江夏さんが、昭和のおやじを描いた「とんび」が好きだというのも、物語がある。やっぱり江夏さんは物語の宝庫なんだよね。