「プロ野球90年」作家・重松清さんが語る野球への深い愛「ヒーローは江夏豊。名前が格好いいじゃん」
▽「野球の底力」 東日本大震災の時に楽天の嶋基宏選手が「見せましょう、野球の底力を」と言った。「底力」という言葉は本当にいいなと思った。よくぞ使ってくれたなと。「見せましょう。野球の力を」と言うよりも、「見せましょう。野球の底力を」の方がすごく深いところから出てくる気がする。いい言葉を選んだなと思うよ。 底がない力というのは流行やブームなんだよね。去っていったら人気も落ちる。野球って流行でもブームでもない。昔より1面トップをプロ野球が飾る回数は減っているけど、ずっと底には野球があるんだな。 勝ち負けだけでもないし、個人記録だけでもない。それぞれの球団のファンがいたり、ルールは知らなくてもかっこいい選手に憧れたり。高校野球のふるさと感みたいなものも。いろんな所に接点がある。ハッシュタグがたくさんつくというか。深いものからライトなものまで。その幅があるのが底力なんだと思う。 阪神大震災や東日本大震災、新型コロナ。うちひしがれている時に、野球が底力を見せてくれる。野球と希望の関係というかね。今回の能登半島地震もきっとそうだ。野球ってスポーツなんだけど文化でもあるし、文化よりももっと身近な生活かもしれない。
▽「終わり方」の物語 高校野球は3年間、トーナメントで終わりがきっちり。そこが魅力であり、寂しさでもある。一方でプロ野球選手の終わり方は、砂浜のようになだらかになっていて、どこでどう終わるかを割と自分で決められる。スパッと辞める人もいれば、ぼろぼろになるまでやりたいという人も。そこにすごく物語がある。 僕も還暦を過ぎたけど、だいたい30代、40代あたりで同い年の現役選手があと何人いるかっていうのが結構気になったりする。とうとう自分より年上の監督が、阪神の岡田彰布さんしかいなくなっちゃって、いやあ参ったなと思ってね。僕たちの世代も、どうやって終わっていこうかというのを考えざるを得ない。別世界なんだけど、案外僕たちの人生とも地続きかもしれない。この選手の考え、分かるなあとか。そうなると、また新しい野球の愛し方というか、付き合い方ができるんじゃないかな。