TV局アナウンサーから難民支援の道へーーウクライナで1年、青山愛の今
数の先にある一人ひとりの物語に目を向ける
──この1年間で、心に残っていることはありますか。 本当にたくさんの出来事があったのですが。強く記憶に残ることを一つあげるなら、ウクライナに入って1か月ほど経った頃のこと。当時は西部にあるリビウにいたのですが、街の壁に犠牲となった方々を追悼する写真が、何枚も何枚も、ずっと遠くまで掲示されていた光景です。 UNHCRに入って3年目、私にとって初めての戦地での任務。命を奪われた方々や、故郷がぼろぼろになり家を離れざるを得なくなった方々など、増え続ける被害の様子やデータを、混乱する現場で毎日必死に集めて報告していました。 どこかで心を麻痺させないと続けられない。そう考えるようになり、できるだけ淡々と被害状況の数字をレポートするようにしていました。そんなときに壁一面に貼られた犠牲者の方々の写真を目にして、こらえていた涙が初めて出ました。 それまで自分が扱っていた数字が、一つひとつ生身の命とつながっていくような感覚があったのです。あまりに残酷な状況を自分が苦しいと感じても、人々がそれぞれのストーリーを生きた事実、そして犠牲にしたものに、しっかり目を向けないといけない。それを伝えることが私の仕事なのだと、強く感じたことを覚えています。
──第三者として当事者の声を伝えることは、とても難しいことではと感じます。 そうですね。どんなに私が思いを馳せたとしても、みなさんが抱える悲しみや苦しみを本当の意味で理解することはできない。だからこそ、その方々の感情を私が解釈をして語るべきでないと思っています。私がみなさんの代弁者にはならない。そのことをいつも心に留めています。 報告書では、当事者の言葉をできる限りそのまま伝える。支援をしてくださるドナーやパートナーとの会議では、国内避難民の方の声をビデオや録音した形で、そのまま届ける。そうやって、なるべくみなさんの声と想いがありのままに、正確に外の世界に届くように意識をしています。