出前の電話が鳴れば、作って届ける

父が給料面で優遇したのは、不正をさせないためだった。 「しっかり給料を渡して、たっぷり食べさせて、1年に1回、定休日以外に店を休み、東京のいいレストランのフルコースを振る舞う。父は“不満があるから、チョンボする”と言っていました。不正の後始末には莫大なお金と時間がかかり、大切な信用を失う。それならきちんと給料を払ったほうがいいと」 時代は高度経済成長期を迎えていた。良一さんの父は近くの工場や学校に出前のメニューを配り続けた。 「僕が中学、高校時代は街中に、ウチの店の岡持ちをくっつけた原付バイクと自転車が走っていました。そこには、ハヤシライス、カレー、オムライスなどが乗っかっている。人手が足りないから、僕も中学時代から出前をしました。ウチがすごいのは、夜中でも出前の電話を取るんです。ベルがなるとコックが起きて、スパゲティやサンドイッチを作って届ける。行き先は病院、雀荘、工場など。夜中働く人が、ウチの料理を食べていることが誇らしかった」 そうして得た利益を、父は不動産購入に回していったが、あくまでも「これはすべて店のため」と言っていたという。 「飲食店は利益が薄く不安定な商売だから、安定が欲しかったんだと思います。僕は店が好きでね、高校3年の夏に父に“卒業したら店を継ぎたい”と言ったら、“大学に行け”と。反抗して、押し問答していたら、“しつこいぞ”と平手打ちをされた。常に冷静な父が殴るのだから、これは本気だと思いました。猛勉強して、ある私大の商学部に進学し、卒業後に店に入りました」 1970年代の初期から、80年代半ばまでは商売は順調だったという。1989年に昭和が終わり、父と母は相次いて亡くなった。その頃から、コンビニが台頭し、深夜営業のファストフード店舗、宅配ピザなどが増えていった。 「僕が店を本格的に継いだのは1980（昭和55）年、30歳のとき。カミさんと結婚した年だから覚えています。その頃から、注文は減っていったんですよね。大打撃だったのは、90年に大口の注文をくれていた近くの工場が中国に移転しちゃったこと。跡地は今はマンションだよ。あと、土曜日の得意先だった学校も少子化で廃校になりました。出前の仕事を取るにしたって、食べてくれる口と胃袋がないのだから、どうにもならない。かといって、記念日のディナーが提供できるほどの腕もないし、宴会場がないから法事や宴会なども難しい」 仕事がないのだから、給料も減らさざるを得ず、従業員は辞めていった。それでも、地元の店としての需要はある。 「僕は店一筋で生きてきて、この仕事以外考えられない。30歳のときに結婚したカミさんには連れ子の息子（結婚時・6歳）もいたから、2人を守りたかった。血の繋がった子はできなかったんです。厨房は僕とバイトの助手、ホールはカミさんとアルバイトで回し、店を続けることにしました」 このとき、単価は高くても、利益率が低いメニューは撤廃した。 「ホワイトアスパラガスのサラダとか、ビーフシチューとか、クリームコロッケはやめました。それでも頑張ったのですが、2000年代に入り、売り上げが最盛期の1/3になってしまった。息子も大学を出したし、社会人になった。ここらが潮時だろうと。店が左前になってからも、父が残してくれた不動産が僕たちを助けてくれました。父は先行投資をする経営者で、僕はただの洋食屋のおっちゃんだったということを受け入れた瞬間でした」 【血の繋がらない息子からもたらされた「親孝行」……その2は関連記事から】 取材・文／沢木文 1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』（ともに小学館新書）、『沼にはまる人々』（ポプラ社）がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』（小学館）、Webサイト『現代ビジネス』（講談社）、『Domani.jp』（小学館）などがある。『女性セブン』（小学館）などにも寄稿している。