「まるで金太郎飴」「金持ちの外国人客ばかり意識してる」…。再開発で東京に「貧しい日本人」を排除する商業施設が増える“残念な現実”
あるいは、森ビルが2023年に完成させた「麻布台ヒルズ」もそうだ。そのロゴデザインは「様々な人々や価値観を受け入れて、時の経過とともに多様性を増しながら育まれる街のロゴ」らしい。まあ、近年の再開発事案のコンセプトではだいたい「多様性」という言葉が入っているし、とりあえず「多様性」という言葉を入れておけば、「なんかいい」感じになる。 とはいえ、そうしたビルの多くが、高所得者層やインバウンド需要に対応した施設になっているのは皮肉な話だ。
そう考えると、こうした施設は北海道の観光地・ニセコと同じようなものなのかもしれない。ニセコは現在、外国人観光客から絶大な支持を集めており、徹底的に外国人富裕層に向けて空間作りが行われている。よく話題になる話だが、そこに行けば商品やサービスの値段は「ここ日本かよ?」と思ってしまうような値段だし、街の看板は英語だらけだ。 『なぜニセコだけが世界リゾートになったのか 「地方創生」「観光立国」の無残な結末』(講談社+α新書)で、マリブジャパン代表の高橋克英氏はニセコが観光地の成功理由を、外国人富裕層に「選択と集中」したことに求めている。ニーズが多様化・複雑化する現在、そのようなセグメンテーションは、ある商業施設なり観光地が成功するのに必須だろう。ニセコはその成功をわかりやすく表しているが、東京にある多くの商業施設もそのようになっているのではないか?
いわば、東京は「ニセコ化」しているのではないか? もちろん、そうした富裕層向けのセグメンテーションは必要だ。それに、儲けることを否定しているわけではない。むしろ、どんどん儲ければいい。 ただ、その結果として、「とりあえず多様性」「とりあえず富裕層向け」「とりあえずインバウンド向け」といった同じような場所ばかりになってしまうと、庶民はどこへ……となってしまうのだ。 私が問題にしたいのは、この「ニセコみたいな場所ばかりができてしまう」ことに対する違和感であり、「金太郎飴」のようなビルばかりが誕生してしまっている、多様性のなさへの違和感なのだ。